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捩り下げは低速度時でも墜落し難い特性をもたらしますが、抵抗が増えるため最大速度は上げ難いです。
これもそれから翼面荷重に神経を使っていたことも含めて日本の戦闘機は高速度よりも飛行安定性と小回りを重視していたことが判ります。
諸外国とは違う当時の日本の個性でした。 -
翼面荷重とは翼の面積1平方mあたり何kgの重量を支えるかという値でこの翼面荷重の値が低い戦闘機ほど空中戦の時に小回りが利き飛行安定性が良いため長い航続距離を得られ易い反面デメリットとしては高速度が出し難くなります。
これらの各性能は表裏一体であり何かを突出させれば何かの性能が低下するというパズルゲームのような関係にあります。
したがって開発を行う国や航空機メーカーによってどの性能項目を第一優先にするかが変わって来るため出来上がった戦闘機の性能や性格がまるで違うものになります。
複葉機の方が単葉機より小回りが利く、これは当たり前のことですが、当時一式戦隼や零戦を開発せよ!と軍から出された性能要求は単葉の翼で複葉機と同等の小回りの良さを造り出せ!と言われたのと同然の無理難題のようなものだったのです。
零戦のような戦闘機を好んで開発していた日本は最大速度よりも機動性と長い航続距離を第一優先にしており、その他の諸外国は概ね最大速度性能を第一優先に考えて戦闘機開発を行っていました。
日本の場合はそういうことだったので軍から航空機メーカーへ翼面荷重の値を何kgにせよ!などという命令が来ることが多かったようです。
一方、諸外国の場合はそのような軍からの強制はほとんどなく自由な開発が認められていたケースがほとんどでした。
どちらが良いかは一長一短ですね。 -
ヘルシアさんが零戦の主翼端捩り下げについて写真を見ても判らないといわれていたので説明資料写真を作ってみました。
貼りますね。
・アメリカのプレーンズオブフェイム博物館の零戦五二型の飛行中の写真を使いました。
主翼端捩り下げがない主翼の場合はAB間の角度のまま主翼端まで行きます。
たとえるなら正面から見ると潰れかけたVの字に見えます。
零戦のように主翼端捩り下げが使われている戦闘機の場合はこの写真のようにAB間の角度に比べBC間の角度は若干下がったようになり、たとえるなら正面から見ると潰れかけたMの字のように見え、カモメの姿のように見えます。
この角度が微妙に緩やかに付けられているため零戦の主翼は正面から見ると直線ではないのでした。 -
絶妙に捩られた主翼構造だったため実機を手に入れ徹底した調査をしていたにも関わらずアメリカ軍は気が付かなかったということでしょう。
こういう構造を持った零戦の動きに釣られて、よーし俺だってと同じような動きをしてついて行こうとして失速し自ら墜落して行ったアメリカ軍戦闘機パイロットは多数いました。
それもありアクロバット飛行をしている零戦について行こうとしてはならないという通達がアメリカ軍には出されていたわけでした。 -
零戦にはアメリカ軍戦闘機にはない主翼端捩り下げという技術が使われており翼面荷重も低く造られていた(翼面荷重は零戦二一型で107.89kg/㎡、後期型である零戦五二型でも128.31kg/㎡だった。これに対しグラマンF6Fヘルキャットは184kg/㎡、チャンスボートF4Uコルセアでは187kg/㎡もあった)ためあらゆる低速度域で機動飛行を行ってもほとんど失速は起こりませんでした。
しかし、これは零戦だったから可能だったのですが、日本人パイロットがやれるのなら俺だってやれるに決まっていると決め込み零戦の動きを追いかけて行ったアメリカ軍戦闘機パイロットたちは自ら墓穴を掘り攻撃も受けていないのに勝手に自分で失速を起こし墜落していました。
それはそうでしょうね、アメリカ軍戦闘機は主翼端捩り下げの技術もなく軒並み翼面荷重の高い戦闘機ばかりでしたから日本人パイロットの真似をしようとしても無理な相談でした。
零戦=主翼端捩り下げ技術=匠の技のお国柄
ということもいえそうです。
一枚で二枚ぶんの能力が出せる翼(単葉なのに複葉並の主翼という意味)の賜物でしょう。
零戦とP51Dムスタング以外の当時の戦闘機価格は方々探してみましたが判りませんでした。
現代の価格に換算すると希少価値と人気があるほど高値になるとは思います。
たくさん存在するものや人気のない機種は安値になるでしょう。
捩り下げとは主翼端をつまんで前に捩り若干下げた形状の主翼のことで零戦にはこの匠の技のような絶妙な技術が使われていました。
それも含めて零戦という戦闘機は本来大量生産には不向きな戦闘機でした。
参考資料の写真を貼ります。
・雲海上で左にバンクする零戦二二型の新造復元機の一号機です。
左右の主翼が中程から外側へ行くにしたがい若干垂れ下がった造りになっているのが判ると思います。
これが主翼端捩り下げです。
これにより低速度時に起きる翼端失速を防止する狙いがありました。
アメリカ軍は零戦を徹底して研究していましたが、何故だかこの主翼端捩り下げの技術には気が付かず戦後だいぶ経ってからその事実に気付いたらしいです。