-
日本刀は我が国が生み出した芸術ですね、、兵器の一種です。原型は既に古墳時代から存在していたようです、、だけど、一般的にイメージされる日本刀の形となったのは平安時代後期からといわれています。日本刀は武器の他、古くから武士の象徴・精神として機能したり、美術作品としても高い評価を得ていますね。
-
大東亜戦争後は、GHQにより「日本国内に存在する全ての日本刀」を処分するよう通達がなされ、武器として没収されたのち破棄・破壊されていきましたが、日本側の努力により、"登録制の美術品"という形にすることで、全て失われるという最悪の事態は避けられました。
ちなみにこのドサクサに紛れて、連合軍兵士が神社仏閣などから日本刀を勝手に没収して、本国へ「戦利品」として持ち帰ってしまったため、数多くの名刀が行方不明になっています。
・残念でなりません
-
なお、「刀」とは刀身の片側にのみ刃がある形態の刀剣を指し、刀身の両側に刃のある刀剣は「剣」と呼称されますね。
現在はインターネットで購入することも出来ますが、高額な買い物になるので実物を見たほうがいいかもしれません。出来のよい無銘の刀や、刀が造られた同時は銘が刻まれてあったが、振りやすくする為に銘のあるナカゴを切断し短くした、また綺麗な銘入の古刀・業物の刀などは数十万〜数千万の価格で取引されているといいます。
「なまくら刀」や「束刀」「数打ち物」と呼ばれる室町時代末期以降に大量生産された刀などは、十万円台〜で購入することも可能で初心者のコレクションとして、また居合刀として使われ事が多いです。・
各都道府県の教育委員会への登録が必須となっており、無登録の日本刀を所持するのは銃刀法違反ですね、。
-
平安時代後期〜鎌倉時代の刀が完成形とも言われており、その用いた材料や正確な製造方法はロストテクノロジーとして未だよくわかっていません。 江戸時代〜現代にかけて数多くの刀匠が再現に挑戦しているものの、なかなかうまくはいかないらしいです。
現在、国宝・重要文化財級の日本刀は、上野の「国立博物館」などの博物館に保管・展示されている事が多いため、興味がある人は行ってみてはどうでしょうか。
-
日本刀の変遷
直刀
大昔に製鉄技術が伝わって以来、長く日本では反りの無い刀が製作されていました。いわゆる直刀です、発想としては直剣(刺突主体)を切断用にしたものと思えばいいです。
蕨手刀
日本で古代より使われた直刀の一種。柄(手で握る所)の部分に反りがある特徴的な形態をしている。しかし刀身は直刀に近い、この柄の反りが、日本における湾刀の誕生の原点となったと考えられます、
彎刀(切っ先両刃)
反りのある刀の総称。平安時代中期に誕生し、以来日本の刀のスタンダードとります。毛抜形太刀(けぬきがたたち)、鋒両刃造(きっさきもろはづくり)などを経て、現在一般的に日本刀と呼ばれる形態、太刀が完成します。
太刀
鎬、目釘、反りの三要素を持ち、なおかつ刃を下にして携帯する刀のことで。現代まで続く日本刀の基本形はここで完成されます。平安時代後期に誕生し、飛び道具などに対する二次的な武器でした。しかし、ちまたで言われるような儀礼用ではなく時代に合わせてマイナーチェンジを繰り返しつつ日本の戦場を駆け回ったこと。17世紀以前の文献から太刀打など太刀の使用を示俊する言葉が散見されることから、それなりに重要な武器だった事がうかがえます。ただし、江戸時代以降、打刀一色になってからは本当に儀礼用になりました。五月人形の横に飾ってあるアレですね。
-
打刀
形状は太刀と大差ないが、刃を上にして帯刀し、やや短めのものが多い。室町時代以降はこの打刀が主流となっていきます、
時代によって形状が変遷し、元々は刺刀とよばれる短刀でしたが、南北朝時代における武器の長大化に乗っかって大型化したのが始まり。後に戦乱期に大量生産されたり今では信じられない値段で安売りされたり幕末の頃には切っ先が長く反りが薄いものが多くなったりしました。
由来は「打つ(=斬る)刀」から一般的にイメージされる、お侍さんが腰に差す日本刀はこれですね、
脇差
武士が主武器(本差)の予備として持ち歩いた小振りの刀で、帯刀するものを指す。短い方のアレです。
-
五箇伝
作刀における五大流派のことで。江戸時代に刀剣鑑定の規準とするために分類されました。日本刀には古来主要な五つの生産地があり、その土地の名前を取って○○伝と称します。
大和伝
大和地方の刀工集団による鍛法。古来日本の中心地であった大和地方は日本の刀工発祥の地とされており、奈良時代の無銘の刀剣は彼らの手によるものと考えられます。
千手院派、尻懸派、當麻派、手・派、保昌派の大和五派を擁す。
山城伝
山城地方の刀工集団による鍛法。発祥について当時の史料は残っていませんが、山城国が平安京遷都によって日本の中心地となった際、刀工集団も移住、発生したはずとされています。
刀工としては、国宝「三日月宗近」の三条小鍛冶宗近、「鬼丸」の国綱などがいます。来国行、来国俊ら来一派も山城伝の刀工ですね。
備前伝
備前地方の刀工集団による鍛法。中国山地は古代より良質の砂鉄の産地であり、現代の刀工が使う玉鋼も、島根県のタタラ製鉄所で製造されているほどです。また、その他刀剣製作に必要な条件にも恵まれており、備前地方は長く刀剣類の巨大生産地であり続けました。特に中心地であった長船は名高く、「備前長船」は現代でもビッグネームであり。また、鍛冶の為に木を切りすぎて洪水で壊滅したことでも有名ですね。
古備前友成、兼光、福岡一文字則宗、祐定、則光などが有名。佐々木小次郎の「物干竿」は備前長船長光の作とも伝わっていますね、。
相州伝
五箇伝の中では最も新しい、相模地方の刀工集団による鍛法。相模国鎌倉は鎌倉幕府の中心地であり、鎌倉中期に各地の刀工たちが移住してきた記録が残っています。鎌倉末期には正宗(五郎入道正宗とも)を輩出し、彼の作風は、後の相州伝の基本となり。ゆえに正宗が相州伝の完成者とされています。
美濃伝
美濃地方の刀工集団による鍛法。鎌倉中期(弘長年間)に良質の焼刃土を求めて九州から移住した元重に始まるとされています、特に美濃国関には多数の刀工が興り、現在でも関市は刃物の産地として世界的に有名ですね。
「関の孫六」こと2代兼元、「之定」こと兼定が特に有名です。 -
製造方法
日本刀の定義および製造は、幕末の刀工である水心子正秀の残す書物によって定義され、玉鋼(たまはがね・和鋼とも)を材料として古式に則った作法でもって作られることが現行の法律によって決まっている。よって、新しく日本刀を製作しても、玉鋼(和鋼)を用いた伝統的な製法によるもの以外はすべて、日本刀としては扱われないとあります。
まずは玉鋼の精錬。
砂鉄を原料として伝統的な製鉄方法「たたら吹き」で精錬される(現在の玉鋼の精錬は日立金属が取り扱っている)。
炭素量の少ない「柔らかい鋼」を背に「硬い鋼」を刃として組み合わせる。だから切れ味は鋭いのに、折れにくい。
次に鍛造。
槌で打って鋼を圧着し、形を整え、鍛造効果で硬度は増す。でも背側の鋼は柔らかいから、砕けにくく、バネがあり、しなやか。
しかも脱酸効果もあって鋼の純度は上がる。
そして熱処理。
水焼入れをするのですが、焼き入れ速度(鋼を冷ます速度)が速ければ速いほど、鋼は硬く・
だから刀身に泥を塗り、刃だけを露出させて焼き入れをする。(刀の刃紋はこれで出来る)
当然刃先は硬くなるが、砂を被せてある刀身は冷却速度が遅いのでしなやかさを保つ。
、この技術は成立年代的に。完全な経験の積み重ねのみで到達したというのだからなお恐ろしいですね。
-
日本刀の威力
その威力は様々な諸説がありますが、最低で拳銃で発射したガバメントの弾丸、ウォータージェット程度ではびくともしない事はトリビアの泉で判明しています。最適な角度であれば兜も割れる。
超硬合金製なら車のドアすら切れるということもつい最近になって判明し、試し切りを行った藤岡弘、は「リアル斬鉄剣」と発言した。全盛期の刀の切れ味は、ティッシュを乗せたらスパンと斬れてしまうくらいだったらしいです。
有名な逸話としては「日本刀で首を刎ねられた者は死ぬまで斬られたことに気づかない」であろうか?。日本刀の出来と斬る者の腕次第で、そういうこともあるかも知れませんが、基本的に一瞬でも冷たい感触があるため、気づかない事はないと思います。
-
以上、また長くなりました、ご容赦。
私の刀剣図鑑、携帯サイト、より、
間違いあればご容赦下さい、