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    2014/07/11(金) 18:07:00 ID:/cbLuLIMO
    このような形式の試験機はアメリカ、イギリス、イタリアでもそれぞれに造られてテストされていました。
    しかし、いずれの機体も試験機留まりで実用機としては不適合とみなされてそれ以上の発展はありませんでした。
    これらの中でも日本の震電が一番実用機には近かったという話もありますが、震電自体は終戦間際のテストということもあり主脚を出したままでの飛行で約300km/h程度のスピードしか出せていません。
    搭載していたエンジンは2000馬力級の三菱製ハ43(零戦の後継機「烈風」は中島製の誉(ハ45)エンジンから三菱製ハ43に交換後に海軍の要求性能値を概ね達成しました)
    大馬力エンジン特有の癖の影響で右に傾いた状態での飛行だったといいます。

    最初の初飛行の際には離陸の時に角度を取りすぎたせいなのか、プロペラの先端が地面を叩いてしまい曲がってしまい失敗に終わりました。
    それを補修して対策として二枚の垂直尾翼の下部に小さな車輪を付加して初飛行を行いました。
    その様子も含め撮影されていた動画を参考資料として貼りますね。
    太平洋戦争当時の日本側撮影のフィルムですから白黒だし見辛いですが他には無い貴重な記録映像です。


    サッカーはドイツのキーパーの場合たとえボールをキャッチ出来なくっても弾き返してでもゴールには入れさせないという意気込みが実際の行動に表れていることが多く文字通りの死守であり守護神たる行動だと思います。
    日本のチームにもそのような行動が取れるキーパーが欲しいところだと痛感します。
    日本の場合は見ていた限りではそこまでの行動は取らずに「あぁ〜入れられたぁ」で終わっているケースばかりでした。
    やはり攻撃力だけを磨いても防御力にも力をさいておかないと安定した強さは確保出来ませんね。
    攻撃力一点張りだとたまたま運が良い時だけしか勝つことは出来ませんから。
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    2014/07/11(金) 21:50:58 ID:/cbLuLIMO
    世界各国で似たような軍用機は造られていましたが、中でも日本の震電に近い形態をした軍用機の写真を参考のために貼りますね。
    ・イタリアのアンブロシーニS.S.4 1939年5月完成
    ・アメリカのカーチスXP-55アセンダー 1943年7月19日に初飛行
    ・牽引式双発の爆撃機ながら形態が似ている軍用機としてイギリスのマイルズ・リベルラM.39B 1943年半ばに初飛行


    いずれも正式採用されることはなく終わっています。
    これら諸外国製の同類機と見比べても日本の震電の完成度の高さが際立って見て取れると思います。
    そして、震電の姿をいろいろな角度から見て行くと第二次大戦機というよりは現代ジェット戦闘機に限りなく近い形態をしています。
    空冷式ピストンエンジンのプロペラ機ながら動力配置は後部だし、空気取り入れ口はコクピット斜め下後方の両サイドに開口しており、主翼は後退角の付いた層流翼の機体後部配置だし、水平尾翼は機首に配置されているし、垂直尾翼は二枚式だし、どれをとっても戦後数十年たった頃、1960年代に出て来たジェット戦闘機のような形態です。
    残念なのは動力がジェットエンジンではなくプロペラ機だったことでしょうか。
    震電はこのプロペラ機仕様で30mm機銃(1門あたり160発搭載)4門を機首に集中配置して最大速度750km/h、航続距離1500〜2000kmの性能を目指して開発していたそうです。
    もしも、終戦がもっと後になっていたとしても開発は尚難航したことは想像に難くありません。
    なにせ今まで世界中の国々が主流派として生産したことのない新ジャンルの軍用機でしたから。
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