• 516
    2014/06/05(木) 14:08:25 ID:4qOcWSVkO
    61式戦車ですか、これまた懐かしい戦車ですね。
    日本の道路、架橋の事情と地形を考慮して既存のアメリカ製戦車を装備するという選択は敢えて行わず、戦後は兵器開発製造を禁止され技術的空白の年月があったにもかかわらず独自に開発した主力戦車の第一号でした。
    昔は東西冷戦のさなかでしたから日本の防衛のかたちは北方重視だったので「61がやっとまわってきた」といわれたその意味は重い実感を感じますね。
    北方から来襲するであろうソ連の軍事力をどう食い止めアメリカ軍が来てくれるまで持ちこたえるかが重要課題でしたから。
    61式戦車→74式戦車→90式戦車までは強力なソ連製戦車の攻撃にいかにして耐え、逆に強力なソ連製戦車の装甲をいかにして破壊しソ連軍の進攻を食い止めるかが一番の最優先課題でした。
    ソ連崩壊後の現在では国産戦車に求められる性能要求値も様変わりして次に開発された10式戦車では対ゲリラ戦能力や融通の利く全国展開能力が主眼とされ軽量化しつつ攻撃、防御能力を高めるという相反する要求をなんとかクリアして配備が進められているようです。
    進出地域の脅威度合いに応じて装甲の着脱により車重を増減が出来て、スラローム走行しながら射撃しても命中弾を与えられる戦車になっています。
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  • 517
    2014/06/05(木) 14:21:35 ID:4qOcWSVkO
    10式戦車は装甲の装着状態により車重を40t→44t→48tと変えることが可能で対峙するであろう敵戦車の強力さに応じた装甲装備にすることが出来ます。
    また、新たな新装甲が開発された場合は着脱装甲の中味を換えるだけで姿は同じでも装甲の強化された戦車にバージョンアップすることも可能です。
    世界各国の主力戦車は新型になる度に重量が増加し、今や63tを越えるものも珍しくありません。
    そういう意味でも日本の10式戦車は世界最先端をいっている戦車といえそうです。
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  • 518
    2014/06/05(木) 17:47:35 ID:4qOcWSVkO
    ざっと考えても
    日本の主力戦車の重量は太平洋戦争時の
    九七式中戦車(18t)
    試作車輛のみ四式中戦車(25t)
    試作車輛のみ五式中戦車(35t)


    太平洋戦争後の
    61式戦車(35t)
    74式戦車(38t)
    90式戦車(50t)
    10式戦車(40t〜48t)
    といった流れですから日本製の戦車というものはいつの時代も概ね軽量なものばかりです。
    長い間戦車の強さは重量であらかた判るといわれ重いものが強いという考え方が支配的でしたが、装甲に使用される素材が金属だけとは限らなくなった現代ではそうともいえなくなって来ています。
    造り方、構造技術と装甲素材技術次第では10式戦車のような事例も今後は増えるでしょう。
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  • 520
    2014/06/05(木) 20:19:10 ID:4qOcWSVkO
    きんたさんのおっしゃる通り昔は大きな重量物の輸送力の要が鉄道と船だったため陸上兵器である戦車は鉄道輸送に大きく依存していました。
    鉄道はレール幅が広軌路線と狭軌路線があり日本の場合は狭軌路線でした。
    欧米列強国の考え方でいえば広軌路線の鉄道は支配国の本国サイズ、狭軌路線の鉄道は欧米列強国に支配されていた植民地サイズということになります。
    こんな部分にも欧米列強国による植民地差別の歴史の痕跡を垣間見ることが出来ます。
    欧米列強国にとっての日本はアジアで唯一富国強兵をいち早く実行し急速に力をつけた国だったとはいえ植民地レベルでしかない差別の対象に外ならなかったのは事実でした。
    昔は必然的にどこの国の戦車も自分の国の鉄道のレール幅の範囲内でしか造れず極少数の例外的戦車以外のほとんどの戦車の幅はそのレール幅に制限を受けていました。
    今ならどこの国にもたくさんの広い道路があり戦車を積載して走れるトレーラーがあるため昔ほど制限にとらわれなくて済むようになりました。
    それでも日本の現代戦車と諸外国の戦車を比較すると日本の戦車は今なお幅が狭く長さが長めの造りになっています。
    現代の日本製戦車とアメリカ製戦車を比較するとアメリカ製に比べ日本製の方が極端に細長い車体になっていて対称的です。
    日本は諸外国に比べ道路の幅も狭い道が多いということなのかも知れません。
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