• 12名無しさん
    2013/12/10(火) 00:50:26 ID:9IZ3bW6kO
    零戦で最初の量産型である零式艦上戦闘機一一型が中国大陸で実戦投入された際に初のデビュー戦となった空中戦で対戦相手となった中国空軍戦闘機の一つ(ソ連製のポリカルポフI-16モスカ)の画像。
    モスカとはハエという意味。
    この戦闘機は大量に生産され第二次大戦初期の時期ヨーロッパでもアジアでも大量に出回っていたため、たくさん空を飛んでいた。
    ドイツ軍や日本軍の撃墜王が途方もない数字の撃墜数を出していたことには少なからずこの戦闘機が貢献しているのも事実。
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  • 13名無しさん
    2013/12/10(火) 01:05:53 ID:9IZ3bW6kO
    零戦のデビュー戦は凄まじかった。
    日本海軍の零戦13機と中国空軍のポリカルポフI-15戦闘機(複葉戦闘機)とI-16戦闘機合計27機が空中戦をして日本側は撃墜された機体はゼロで中国側は一方的に全機撃墜されてしまった。
    だったと思います。
    しかも零戦は友軍爆撃機を守る護衛任務を果たしたあとに引き返した末の空中戦での敵機全機撃墜でしたから零戦の航続距離の長大さは当時の世界中の戦闘機の常識を遥かに超えていたことが判ります。
    記憶が確かならね。
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  • 15名無しさん
    2013/12/10(火) 21:51:31 ID:9IZ3bW6kO
    当時の中国軍の軍用機は全て外国製の飛行機の寄せ集めといっても過言ではない状況で勿論自前で開発する能力などは皆無でした。
    外国製をコピーする力すら皆無でした。
    ソ連製のポリカルポフI-16は出現当初は世界で初めての金属製低翼単葉引き込み脚付きの戦闘機でしたが零戦相手に戦うのは少々無理があり過ぎでした。
    ポリカルポフI-16はスペイン内戦でもドイツとソ連が戦った東部戦線でもいつもやられ役でした。
    中国大陸でも同じでした。
    数はうるさいハエのようにたくさん居るのにいつも落とされてばかり世界中どこへ行ってもハエを意味するようなニックネームで呼ばれていました。
    ドイツ軍戦闘機パイロットに撃墜数三百数十機なんて途方もない数を誇る者が現れたのも納得なわけです。
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  • 16名無しさん
    2013/12/10(火) 22:04:02 ID:9IZ3bW6kO
    東部戦線でのドイツ軍戦闘機パイロットたちは戦争の初期に大量に保有されていたポリカルポフI-16などの戦闘機を撃ち落とし尽くしたまでは大量スコアで良かったのですが、代わりに戦線に投入されて来るミグ(ミコヤン&グレヴィッチ)やヤク(ヤコヴレフ)やラグ(ラボーチキン)の新型戦闘機に苦慮する羽目に陥りました。
    これらのソ連製新型戦闘機は低中高度での空中戦ではドイツ軍のメッサーシュミットBf109やフォッケウルフFw190戦闘機と互角に戦えたからでした。
    おまけに数はこれまた怒号のように大量に押し寄せたので堪らないという状況に陥って徐々に敗戦へと向かいました。
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  • 17名無しさん
    2013/12/10(火) 22:14:26 ID:9IZ3bW6kO
    これらのソ連製新型戦闘機群は木製、木金混合製、金属製の機体があり、ソ連が大量に保有していた非戦略物資である木材(ソ連には広大な森林地帯がある)を大量活用していたため怒号のような大量の戦闘機が戦線へ送り込まれたとうわけでした。
    さすがのドイツ軍もタジタジになったのもうなずけるでしょう。
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