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    2014/02/06(木) 09:37:52 ID:Ic3MKSGQO
    中島製 誉エンジンを搭載した試作機 試製烈風のテスト飛行の結果は操縦性と飛行特性は悪くなかったものの最大速度520km/h程度、高度6000mに達するまでの所要時間は10分もかかり、零戦の再来を望み大きな期待をかけていた海軍ならびに開発関係者全員を落胆させました。
    零戦より低い性能では後継機とするのは無意味であり当然烈風の開発は中止と決定されました。
    顧客でありユーザーにあたる海軍から強引に決定付けられた誉エンジンの搭載でしたが開発を担当したプライムメーカーである三菱側は納得がいかず、使用していた誉エンジンを下ろして地上テストで出力の再確認を行ったところ中島がいっていたカタログデータである2000馬力はおろかメーカー主張カタログデータの80%(1600馬力程度)しか出力が出ていない事実が証明されました。
    これ以前から軍部は新しく開発される軍用機に軒並み誉エンジンを採用するようごり押しで命令していましたから、これらの軍用機は軒並みトラブルだらけとなり大混乱を招いていました。
    たくさんの新型機に強制的に採用させたぶんテスト使用する機会は増えたため当然実用化のための実験は進展していました。
    しかし軍部から優遇され実用化のための実験が進んでいたといいながら80%の出力しか出せていないのが現実でした。
    軍部が特定のメーカーにエンジンの押し付けをしたりエンジンの供給をさせず冷遇するなどの行為は何も日本だけの話ではなくどこの国でも少なからずある話であり昔だけの話でもなく現在でもある話なのです。
    臭い話には蓋をしろ的な考え方は良くないと個人的には思います。
    良くない話でも本当の話を語った方がいいと思います。
    我が身に良い話ばかり語っていると良い未来はありません。
    良い悪い関係なく事実は事実として認めていかないと良い未来はありません。
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  • 178
    2014/02/06(木) 11:20:00 ID:Ic3MKSGQO
    日本の戦闘機好きです。
    日本の発動機も好きです。
    好きですが、それらには良い部分も悪い部分も当然あります。
    零戦開発当初、十二試艦上戦闘機が搭載した三菱製 瑞星エンジンもその後の中島製 栄エンジンも三菱製 金星エンジンも好きです。
    中島製 誉エンジンも三菱製 ハ43エンジンも好きです。
    たとえていうなら中島製 栄エンジンは良く造り込まれた大量生産車用の使い勝手の良いエンジンだとすれば、中島製 誉エンジンはそれをベースにして気筒数を増やし特別にチューンしたレーシングカー用のハイオク仕様特殊エンジンであり、職人の匠の技に依存し切った美術工芸品のようなエンジンだといえます。
    国家の総力戦で戦わねばならない近代戦にあたり職人技に依存するしかないレーシングカー用の特殊エンジンで戦おうと考えたのが日本の軍部だったといえます。
    こういう表現で聞けば太平洋戦争当時の日本の軍部の先を見通す目がいかに愚かだったかがよくわかると思います。
    兵器というものは高性能なものが望ましいのは当然ですが、先ず第一はいつでも確実に作動する信頼性がなかったらすべては無意味なのです。
    真面目に堅実にの精神をいつの間にか忘れ、気がついたら自分が理想とする夢だけを追いつづけ敗戦を迎えていた。
    それが当時の日本の軍部の姿だと思います。
    国家の総力戦たる近代戦では極々少数の兵器がたとえ高性能であってもあまり意味はないということでしょう。
    総力戦なのですから。
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    2014/02/06(木) 11:37:58 ID:Ic3MKSGQO
    兵器は高性能なものが望ましいが、いつでも確実に作動する信頼性がなかったらすべては無意味。というのは零戦のエースパイロットだった坂井三郎氏が生前語られていた戦後の言葉「戦闘機の各種の高い能力も長く飛んでいられる能力がなければすべて無意味だ。」と本質的には同じだと思います。
    無理に無理を重ね痩せ我慢して小型高出力のエンジンを搭載しても動かなければ無意味だし、力が出なければ無意味だし、飛べなければ無意味ということと同じです。
    それを強引に推し進めたのが太平洋戦争当時の日本の軍部。
    我々日本人にとっては良くない話ですが、真実は素直に直視することこそが、より良い未来へと繋がる正しい道だと信じます。
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  • 182
    2014/02/06(木) 14:14:05 ID:Ic3MKSGQO
    何も太平洋戦争の責任を軍部に押し付けるということではありません。
    変に曲げて受け取らないで下さい。
    太平洋戦争についてのことは日本人全体の責任です。
    それがあることは念頭に置いた上で日本人の一般個人個人は個人であるだけに個人でやれることには限界があり力が弱かった。
    それに引き替え政府や軍部などの大きな組織は力も統制力もあるため、やれることはたくさんあった。
    戦争時だからこそ日本人国民をより良い方向へ導く責任があった。
    この責任は重大なものであり、これを間違った方向へ強制し導いてしまった責任はごめんなさいでは済まされないということをいっているのです。
    何事もおかれた立場次第で責任の重さは天と地ほど違いますからね。
    それから人命を重視した防弾装備は絶対必要だと訴えたのは坂井三郎氏をはじめとした前線で戦っていた兵士たち自身であり、いらないといっていた人など聞いたことがないです。
    そしてこの兵士たちの叫び声にも似た声に応えることが出来るようにやらせてくれと訴えていたのが曾根技師たち技術者たちでした。
    その声を「弛んでる!けしからん!」といいながら黙殺し続けたのが実際には最前線で命をかけて戦うこともなかった軍部の上層部の人間たちだったのです。
    これを書いただけです。
    実際に命をかけて戦っていた人たちが語っていた生の声です。
    悪かった歴史を直視せず、捩曲げる者は将来にも又、同じ過ちを繰り返すでしょう。
    反省の出来ない者に物事の改善は無理だからです。
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