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ヘルシアさんが書かれた内容それもその通り正しいと思います。
確かに心血を注いで研究開発し作り上げた大艦巨砲主義の艦艇を温存しよう温存しようという考えが軍の上層部の中に根強くあったのは事実です。
温存しておいた虎の子兵器(大艦巨砲主義の艦艇)で大国ロシアを破った日本海海戦の時のような華々しい戦闘で戦争の勝敗を決定着けようと夢見ていたのは確かです。
しかし軍用機でも軍艦でも戦闘車輛でも共通なこととして速度の遅い種類の仲間が一緒に行動している場合、遅いものに歩調を合わせるしかなく結果として戦闘部隊の機動能力を落としてしまうこととなります。
近代戦争というのはいろいろな機種の連携による作戦が必要不可欠です。
空母という軍艦は基本的には自艦の速力により合成風を作り出し艦載機の発艦を助けなければならない関係上、建造当初から高い速度性能を与えられているケースがほとんどでした。
戦艦という軍艦は元々は速度が遅くてもそれが普通と思われていた艦種であり空母と同等レベルの速度を持った高速戦艦は数的には少数派でした。
その高速戦艦に分類される戦艦たちはいずれの艦も巡洋戦艦と呼ばれる戦艦の装甲を薄くした分、高速度が出せるようになった艦でした。
速度の速い空母に随伴して護衛することは出来るが敵の戦艦と主砲の撃ち合いをした場合は命中弾を受けると非常に弱く直ぐに倒されてしまう程度の装甲しか持ち合わせていませんでした。
アメリカ海軍のアイオワ級戦艦ミズーリは速度が速く高速戦艦でしたが装甲面ではさほど強力ではなく、もしも大和級戦艦と直接主砲の撃ち合いをして被弾していたら非常に脆かったはずです。
実際にはアメリカ海軍の空母戦力が多数あり大和級戦艦と戦艦ミズーリが砲撃戦をするほどの距離に近付くことはありませんでした。以上のことも作戦計画に影響を与えた可能性は非常に高いです。
高速○○と呼ばれる軍艦を除いて考えると軍艦というものは基本的には駆逐艦や軽巡洋艦や重巡洋艦や空母はその任務遂行上の必要性から高速であり二十数ノットから三十ノット前後出せるのが普通でした。
それに比べ戦艦は二十数ノット前後が普通で三十ノットを超えるものは数的には少数派でした。
潜水艦は更に遅く水上でも十八ノット程度、水中では十ノット程度しか出せませんでした。
現在の潜水艦は水上と水中の速度が逆転し全般的に速度性能も向上し水中でも二十数ノットから三十数ノット出せるものまであります。 -
その各種軍艦の艦種による世界的な当時の常識を逆手に取った独特な戦略が第二次大戦中のドイツにありました。
第一次大戦に敗戦し負けたドイツにはいろいろと不利な制限が課せられていました。
新生ドイツ海軍には当然持っていいとされる軍艦の総排水量の割り当てが少なく制限されていました。
戦争に勝った国々の都合のいいように制限を課せられていたわけでした。
そこでドイツが考えたのが俗にいわれるポケット戦艦の建造でした。
ポケット戦艦とは多数の小型の潜水艦Uボートを使用した戦略と同じく通商破壊戦を展開し敵(主に永遠の宿敵イギリス)を兵糧攻めに遭わせるための装備でした。
ポケット戦艦とは重巡洋艦よりは遅いが重巡洋艦より大きな主砲を持ち、戦艦よりは小さい主砲だが戦艦よりは速い速力を持った特異な小型の戦艦でした。
要は普段は武装を持たない敵国の輸送船を見付けては撃沈し、敵重巡洋艦と遭遇した場合は敵重巡洋艦より大きな主砲の力で敵を撃沈する。
敵戦艦と遭遇した場合は戦艦より速い速力を利用して逃げるという使用方法をコンセプトとして計画建造された小型戦艦でした。
当事者のドイツ人にしてみれば真剣に取り組んでいたことなのですが、一見すると滑稽にも見える種類の戦艦でした。 -
ヘルシアさん、どうもです。
信濃は大和級戦艦の三番艦でしたが日本海軍が次々に空母を失ったため空母戦力拡充の一環として建造途中に空母へと改造されました。
戦局が逼迫して何もかもが簡略化、簡略化で通常ならば行わなくてはならない就役前の各種テストも省略に次ぐ省略に終始したため本来なら行うはずの水密試験や注排水設備のテストも省かれ行われていなかったために潜水艦の雷撃程度であっけなく沈んでしまいました。
当時、空母信濃は世界最大の大きさの空母(戦後アメリカで原子力空母エンタープライズが出現するまでは信濃が世界最大の空母だったと思います。)で飛行甲板も装甲化されていて航空攻撃にも潜水艦からの雷撃にも強い空母として最前線へ進出し、その打たれ強さを利して浮かぶ最前線基地として活躍することを期待された空母でしたが、ろくなテストもしていなければあっけなく沈んでもしかたのないことでした。
ここにも技術者たちのいうことを聞き入れず精神力、精神力を連呼した軍上層部の見通しの甘さが悪しき風習として実行されていたのでした。
特攻隊も根底には同様なことがいえるのです。
下っ端の兵士たちが作戦を決定するわけはないのですから軍上層部の戦争の計画や指揮のとり方が悪く戦局が逼迫したのにその尻拭いを特攻隊というかたちで若い兵士たちに背負わせ、自分たちは特攻して行く立場ではないのだから、命令を下すだけの立場なのだからという無責任でずさんな行いが悲劇を生んだということでしょう。
今でも国のリーダー、地域のリーダー、会社のリーダー、学校のリーダーにあたる人たちの中にもそんな連中は必ず居ます。
そんな人たちが重要なことを推し進める立場に就くと悲惨な結果が待っています。
そうならないように物事には目を配っておかないといけませんね。 -
戦争のことを語るのに漫画やアニメというと不謹慎だと受け取られる方もいるかも知れませんが、そういう意図は一切ないことを事前に断っておきます。
特攻隊がどのようなものであったかを少しでも知る上では理解しやすいと思いますのでこのアドレスを貼ります。
YouTubeでの松本零士氏の代表作ザ・コクピットの
『音速雷撃隊』です。
他にも同じページの中で
『鐵の竜騎兵』
『成層圏気流』
もありますのでよろしければご覧下さい。
戦争の世界がアニメで判りやすく描かれています。
これは昔、雑誌やコミックスで出版されていた戦場漫画シリーズで後にザ・コクピットシリーズとしてリニューアルされていた松本零士氏の作品です。
数あるストーリーの中から松本零士氏が厳選した上記三作品だけがアニメDVD化されたものです。
架空の部分もありますが、国や歴史、戦争兵器のことを良く勉強した上で描かれた作品なので戦争映画に勝るとも劣らないものです。
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参考までにガラケーを使っている人はMy Tube (読みはまいつべ)というのを検索してタイトルを入力して動画検索すればダウンロードも可能ですよ。
スマホを使っている人は動画ダウンローダーを持っていればダウンロードも可能ですよね。
頂いておきたい人はこれらを参考に。
行うとしたら角度を考慮した上での陸地に向けた地上攻撃シーンに限られると思います。
海上に浮かぶ艦船という限られた小さな目標に対しては実際には一斉射撃はあまり行わないというのは一斉射撃すると各主砲の発砲の爆風がお互いに悪影響を与え合い着弾位置にズレが生じるため、(主砲射撃の爆風がお互いの弾道に悪影響を与え合うのを防ぐために時間差発砲をさせるための装置が備えられていたはずです。)たくさん砲撃されたという恐怖感を敵に与えることは出来ますが命中しない弾が多数という結果となり得られるメリットは多数の砲弾による威嚇のみとなります。
おまけに檻に入れた小動物を甲板上に置いておき主砲の射撃をするとその際の爆風の圧力により死んでしまうという実験結果もあるので自艦の搭載機材や搭載機や搭載艇が壊れる危険性も十分ありました。
それを防ぐために大和級戦艦の場合は艦尾部分に工夫を凝らした作りを採用していました。
主砲射撃を行う際には特異な作りの艦尾部分に搭載機や搭載艇を収容してそこを爆風シェルターとして活用するように考えられていたほどでした。
大和級戦艦というのは世界的にみても戦艦建造時代の最後期に建造された艦であるためシンプル且つ様々な工夫を凝らしてあり良く出来た艦となっていました。おそらく光学測距装置が活用出来るような良い天候で戦艦同士で主砲の撃ち合いをしたらアメリカ、イギリスの戦艦でも装甲が厚く射程距離が長く威力の大きい46cm砲弾を持った大和級戦艦に勝てる艦は無かったであろうと思います。
日本が大艦巨砲主義に走ったきっかけは日清戦争を目前にした時期に日本より優勢な戦艦群を持ち日本への牽制をしていた中国海軍(当時の清国海軍)の脅威になんとかして対抗しようという切羽詰まった状況がありました。
しかし大和級戦艦という世界的にみても究極の大艦巨砲主義にまで辿り着いた日本でしたが実際の戦争で大艦巨砲主義の艦艇が大成功をおさめた事例は残念ながらありません。
どの戦争の時も勝敗を左右する働きを演じたのは他の兵器でした。
艦橋上から艦首方向を撮影した写真
・大和級戦艦の二番艦である武蔵。
・アメリカ海軍の戦艦ミズーリ。
・イギリス海軍のネルソン級戦艦。
を貼ります。