ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型

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  • 1ヘルシア
    2013/11/06(水) 12:37:06 ID:O1rszpB6O
    皇紀2600年を記念して、下1ケタをとり、零式戦闘機としたとか、
    用途:戦闘機
    分類:艦上戦闘機
    設計者:堀越二郎
    製造者:三菱重工業
    運用者: 大日本帝国(日本海軍)
    初飛行:1939年(昭和14年)4月
    生産数:10,430機
    運用開始:1940年(昭和15年)7月
    退役:1945年(昭和20年)8月
    14 0
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  • 556
    2014/06/18(水) 02:52:22 ID:g6BqMA3MO
    私はざっくりした理解のし方ですが、
    ・西洋の剣は刺すもの、
    ・中国の剣は力押しでぶつ切りにするもの、
    ・日本刀は刺すこともぶつ切りにすることも出来て何より引いて鮮やかに切ることが出来る。
    という感じで認識していましたがどうでしょう?
    遥か昔の時代の武器ですが、そんな昔の時代から既に日本人が作るものづくりには独特の賢さがあったのだと理解しています。
    日本人、韓国人、中国人、いずれもアジア人として見た目は似ていますが中身は全く別種ですね。
    ものの考え方が根本から違う気がします。
    だから結果として作る物にも大きな違いが生まれるのだと思います。
    早く近代化したとか近代化が遅かったから劣る物しか作れなかったとかいうのは間違いであり単なる言い訳だと思います。
    日本刀がそれを証明しています。
    0 0
  • 557
    2014/06/18(水) 03:00:06 ID:g6BqMA3MO
    昔は日本より中国や朝鮮のほうが何でも全般的に進んでいたはずなのに日本刀に勝る剣を持たず造れず日本から輸入品として買っていたという話もありますから近代化云々の話は現在の中国人、韓国人たちの都合に合わせた只の言い訳です。
    0 0
  • 558ヘルシア
    2014/06/18(水) 22:41:09 ID:AlJzZ8xwO
    0さんの、コメント
    まったく同感です、

    過去の 日本の匠の、もの作り
    世界にも ひけをとらないです。
    0 0
  • 559
    2014/06/19(木) 05:12:34 ID:M4bFm9r.O
    日本人が精魂込めて作り出したものは数々ありますが、その中でも頭の中にいつも思い浮かぶものはといえば、やはり日本刀、零戦、戦艦大和といった具合です。
    いずれも日本人らしさがこもるものばかりです。


    零戦の写真を一枚貼ります。
    今から35〜36年ほど前、日本へ里帰り飛行するために帰り日本各地の上空を慰霊飛行してまわった時の零戦五二型の写真です。
    写真が古いせいなのか、飛行時間帯が夕暮れだったせいなのか、全体的にセピアがかっています。
    手前には零戦の飛行に見入る人々の姿と零戦歓迎の文字が見えます。
    この零戦は今も世界で唯一オリジナル中島製栄エンジンで飛行可能なアメリカのプレーンズオブフェイム博物館の零戦五二型です。
    0 0
  • 560ヘルシア
    2014/06/20(金) 19:16:47 ID:65wa2P.gO
    こりゃ素晴らしい画像
    おそれいります、

    感無量です、

    ハイテク戦闘機が現存する中で、
    日本の誇りである零戦、
    当時で、1万機 零戦を作りました、

    0さんは ↑の画像見て
    零戦五二型と わかるのですか?、
    0 0
  • 561
    2014/06/20(金) 21:24:27 ID:2.4vDJE6O
    零戦の里帰り飛行当時の他の写真(もっと近くでの撮影写真もありました)を含めて掲載されていたものをネット上から拾って来た写真です。
    なので他の写真から確認した限り零戦五二型でありこの写真だけが作り物であるという可能性はまずないと思います。
    その度ごとに宣伝もされていますし一連の里帰り飛行をした零戦がアメリカのプレーンズオブフェイム博物館の零戦五二型であることは世界中の零戦好きの人たちの間では良く知られた話ですし。
    ということです。


    同じ零戦五二型が後の1995年に再度里帰り飛行をした際の写真、茨城県の竜ヶ崎飛行場での模様の写真を一枚にまとめたものを貼ります。
    この時、一緒にアメリカのノースアメリカンP51Dムスタングも来日しており一緒の飛行する姿を披露していました。
    零戦五二型とP51Dムスタングが同じラインに並び同時にスタートして離陸するところを披露していました。
    左端の写真は同時スタート離陸後わずか数秒後の状態です、P51Dムスタングはまだまだ地上滑走中ですが、零戦五二型は既に高く舞い上がっていて両機の高度差は既に30mは優に超えています。
    真ん中の写真は上空でP51Dムスタングの後方に着いた零戦五二型の写真。
    右端の写真はP51Dムスタングの後方に着き低空飛行で飛んで行く零戦五二型。


    零戦はどのアメリカ軍戦闘機に後方に着かれても一周旋回すると敵戦闘機との同時旋回であっても一周し終わる頃には逆に敵戦闘機の後方に着くことが出来、形勢を逆転出来たといいます。
    最大速度での競走ではアメリカ軍戦闘機に負けていましたが、零戦はアメリカ軍戦闘機よりも身軽で旋回性能が桁外れだったことを如実に物語っています。
    太平洋戦争の後半はアメリカ軍戦闘機が速い最大速度を利用して急接近し撃っては逃げる急接近し撃っては逃げるを繰り返し、まともな空中戦を挑まなくなったため零戦の特技は活かせなくなりました。
    0 0
  • 562
    2014/06/20(金) 21:52:55 ID:2.4vDJE6O
    太平洋戦争当時の価格で零戦一機の価格は装備品一式含めて14万円から16万円程度だったといいます。(現在の価値に換算すると約2億円程度)
    それに対してアメリカ軍のP51Dムスタング一機の価格は装備品一式を含めて27万円程度だったといいますから、もしも零戦一機にP51Dムスタング一機が撃墜された場合は金銭的にはアメリカ側の大損だったことが判ります。
    逆にP51Dムスタング一機が零戦一機を撃墜してもそれだけ高い金額をかけて造っているわけですから勝って当たり前ということになります。
    一機一機の単位で価格で比較するとそうなるようです。
    それでも当時のアメリカ軍戦闘機の中ではP51Dムスタングは価格の安い方だったようです。
    具体的な価格は判りませんが、リパブリックP47サンダーボルトの価格の方が高価だったそうです。
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  • 563ヘルシア
    2014/06/24(火) 11:26:41 ID:wikInLB2O
    0さん、素晴らしい画像ありがとうございます。

    ↓私の一番大好きな画像です、アメリカ側のカメラマンが、撮影された画像です、これこそ、ビッツア賞、これを撮影されたアメリカ人は、亡くなったかも
    我祖国 日本の為に、我が身を犠牲に
    雨あられの対空砲火を
    くぐり抜け、体当り寸前の零戦、
    感激して涙が止まりません、
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  • 564
    2014/06/24(火) 13:46:45 ID:mTFmSeosO
    特攻の写真を見たり特攻にまつわることを思い浮かべると悲しいというか、痛ましいというか、目頭が熱くなって来ますね。
    特攻機には零戦以外にもいろいろなものが使われたようです。
    ヘルシアさんの貼られたこの写真は零戦ではなく艦上爆撃機「彗星三三型」(水冷式エンジンから空冷式エンジンに積み替えたタイプ)のようですね。
    主翼が低翼形式ではなく中翼形式だし、エンジンの下部に幅広い空気取り入れ口があり空中線支柱が風防ガラスの上にマウントされているようですから、主翼の捩り下げもついてなさそうだし。
    おそらく彗星ですよ。
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  • 565きんた
    2014/06/24(火) 21:31:23 ID:uvHTEvAUO
    愛媛県西条市にはフィリピンで特攻に出撃(初めて組織的に)した関行男大尉を偲んだ神社と資料館がありますよ。
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