ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型

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  • 1ヘルシア
    2013/11/06(水) 12:37:06 ID:O1rszpB6O
    皇紀2600年を記念して、下1ケタをとり、零式戦闘機としたとか、
    用途:戦闘機
    分類:艦上戦闘機
    設計者:堀越二郎
    製造者:三菱重工業
    運用者: 大日本帝国(日本海軍)
    初飛行:1939年(昭和14年)4月
    生産数:10,430機
    運用開始:1940年(昭和15年)7月
    退役:1945年(昭和20年)8月
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  • 165権兵衛
    2014/01/31(金) 22:53:29 ID:Vk3xdY2kO
    雷電はプロペラの延長軸の起因による振動が発生し、その対策に時間を取られて実用化が遅れたんやな。
    根本的な振動係数の解決は、現在の技術を持ってしても解明困難な事例もあって、雷電の開発当時は効率が低下するのを
    承知でプロペラ剛性を高くして一応の対策を見た訳やがな。
    離陸時の雷電は冷却ファンからは、ジエットエンジンのようなキィーンと言う音が発し急角度で上昇する様子がその高性能ぶりを現しているようやったなぁ。

    米軍規格により完全整備された雷電は、日本海軍の公試記録を遥かに凌ぐ高性能を発揮し、米軍のテストパイロットによる飛行レポートでは
    それまで操縦した日独、米、英、各国の機体の中で最も優れた飛行性能記録して唯一、ムスタングの高速性に若干、及ばないとの事やったんや。
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  • 166
    2014/01/31(金) 23:54:34 ID:3tJS5ZZwO
    権兵衛さん、こんばんは。
    プレーンズオブフェイム博物館の雷電は是非なんとかして飛行可能なように修復して再び強制冷却ファン特有の金属音を響かせながら飛行する姿を我々に見せて欲しいものです。


    結局、雷電も烈風も零戦の後継機とは成れず、実質的に零戦の後を継ぐ戦闘機と成ったのは川西飛行機(海上自衛隊向け救難飛行艇US-1やUS-2を開発生産している現在の新明和の前身にあたる航空機メーカー)製の紫電改でしたね。
    強風の改良型が紫電で紫電の改良型が紫電改なのでこの三機種の画像を貼ります。
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  • 167権兵衛
    2014/02/01(土) 08:11:29 ID:o2.3/dLMO
    雷電の実機は見学したけど写真等で見る大きいと言う印象よりは、各部の設計が洗練されている為か全体的に流麗な感じがするねんな。
    日本海軍での運用では燃料やエンジンオイル等の質的問題の為に持てる実力を発揮、出来んかったのは残念やったけど、302空 厚木航空隊の雷電部隊は直上方攻撃による背面の機動でB29を攻撃し、暫し戦果を上げているんやな。
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  • 168権兵衛
    2014/02/01(土) 10:15:32 ID:o2.3/dLMO
    紫電はフィリピン方面で運用されたけど誉型エンジン実用化の過渡期に実戦配備された点と、二段式の収縮脚による動作不良による稼働率の低さにより際立った活躍は無かったけど、高速化する米軍機に対しては、零戦より速力があって防弾が施された本機は有用と判断された訳やな。
    実際の空中戦の機動では、宙返りを行うとオートローテーションに陥る癖があって、零戦に慣れた搭乗員には敬遠され、実際に紫電に搭乗するのを拒んだ戦闘機隊長もいたんやな。
    その後の紫電改では、機体設計を熟成させ主翼を低翼に改めた為、二段式収縮脚では、30秒以上かかっていた脚の収納が本機では、十秒以内に収まった点と、誉型エンジンが実用レベルに達した点や、水銀を媒体に用いた空戦フラップの不具合解消により見違えるよう高性能を発揮したんやな。
    紫電改の公試テストでは最高速度は600キロに届かないけど実際はエンジン実用化の途上で出力制限下での数値で、海軍の飛行テストでは優に630キロに迫る速度を記録し、また高翼荷重にも関わらず空母への着艦テストでは零戦より操縦操作が容易であると報告されて一日も早い部隊配備が渇望されたんや。
    縦の機動を活かした模擬空中戦では紫電改単機で二機の零戦
    に対して優位に立てる事があって、零戦に慣れ親しんだ搭乗員は、初めて操縦する紫電改の操縦性と速度性能が良好に口を揃えて「紫電改さえ有ればグラマンに絶対、負ける気はしない。」とその高性能ぶりを讃えたそや。
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  • 169
    2014/02/01(土) 15:24:01 ID:v1SFHZksO
    紫電改も復元されたものが数機ありますが、いずれもアメリカ。
    飛行出来ない展示機ばかりだったと思います。
    紫電改も自動空戦フラップ込みで飛行可能なように復元して飛行する勇姿を見せて欲しいものですね。


    最後の型の紫電改と最初の型の紫電改の写真と紫電改の透視図解を貼ります。
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  • 170
    2014/02/01(土) 19:54:43 ID:v1SFHZksO
    大戦機を復元する上で一番の障害になるのは大概の場合はエンジンです。
    多くの復元機のほとんどはエンジンを復元するのが大変困難なために別の代用エンジンを搭載するか、飛行出来ない状態での地上展示となっています。
    (墜落して失われてしまうことを恐れての地上展示オンリーという場合もありますけど)
    エンジンやエンジン部品までリバースエンジニアリングで復元出来るようになったら素晴らしいのにと願うばかりです。
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  • 171
    2014/02/03(月) 18:49:52 ID:DpK5zWKMO
    最終型となった零戦の改良型の写真を貼ります。
    零式艦上戦闘機五四型です。
    順調に量産型に移行したら六四型と呼ばれる予定でした。
    軍からの命令で長らく自社製エンジンではなく他社製エンジンである中島製 栄エンジンを搭載して来た零戦の各型でしたが、終戦間際まで来てようやく三菱製 金星六二型 離昇出力1560馬力の空冷星型エンジンを搭載した零戦を完成させましたが試作機を二機作ったところで終戦となってしまいました。
    中島製 栄二一型エンジンは離昇出力1130馬力だったため430馬力のパワーアップということで度重なる改良による重量増加で各種性能が低下するばかりだった零戦の性能も五二型レベル+アルファまで回復することとなりました。
    金星エンジンとほぼ同じエンジンに換装した陸軍の川崎製の五式戦闘機がグラマンF6FヘルキャットやノースアメリカンP51ムスタングと互角に戦っていましたからこの零戦五四型もかなり期待出来る存在ではありましたから惜しいことをしました。
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  • 172権兵衛
    2014/02/04(火) 10:36:31 ID:v.jGZssIO
    零戦のエンジン選定に当たっては、三菱の瑞星搭載は、あくまでも暫定的なものやったんやな。
    一般的に零戦への栄エンジン搭載は海軍側からの一方的な命令によるものと思われてる節があるけど実際には、堀越技師自身、瑞星エンジンでは海軍側の性能要項に合致しない事が
    分かっており、もう一つの選択肢であった金星エンジンも機体の大型化への懸念等があったけど、零戦の開発時には戦闘機用の金星エンジンは、実用化されてなかったんやな。
    一方の栄型エンジンは先進的な設計によって開発され、零戦の開発中や試験飛行中にも栄型エンジンの出来の良さが堀越技師にも伝わり、技術者の視点から海軍側より伝えられる栄型エンジンの性能に
    零戦の要求性能をクリアーするには、栄型エンジンが最適であると判断したんやな。
    海軍側も三菱の社員である堀越技師への配慮から海軍の指示により栄型エンジン搭載決定と言う形式的に命令と言う形にものになった訳やな。
    惜しむらくは栄型エンジンの最終系は1500馬力達成を計画されていたけど誉型エンジン開発により、その実現化は無かった事やな。
    1500馬力の栄型エンジン搭載が真の零戦の理想形やったかも分からんな。

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  • 173
    2014/02/04(火) 19:01:17 ID:DMsGSLP.O
    太平洋戦争当時の日本の軍部は技術者がことの真実をちゃんと説明しているにもかかわらず、精神主義ばかりをごり押しして技術者たちの話を聞かず話の本質を捩曲げる悪い癖が横行していたのは事実です。
    堀越技師と共に零戦開発に携わって苦労をしていた曾根技師が生前NHKの特集番組で当時のことを語っていました。
    その時の話はこうでした。
    南方に進出し航空撃滅戦を戦っていた前線部隊の切羽詰まった改善要求の声に応えるべく零戦三二型を開発している時期に開発会議の席上で声を大にして会議の流れを握っていたのはやはり軍部でした。
    ご存知の通り零戦各型の中でも三二型だけは角張った主翼の翼端形状をしています。
    技術者たちは翼端を丸く整形しないとカルマン渦が発生し速度を出す上で障害になることを知っていたので整形してから完成させて欲しいと訴えましたが、軍部は「最近弛んではおらんか?そんな考えではこの戦争は勝ち抜けない!精神を引き締め軍と民間と一致団結してこの戦争を勝ち抜こうではないか!」と高圧的にいわれ会議は終わり技術者たちの訴えは聞き入れられなかったと回想されていました。
    それが原因で零戦三二型は主翼端を整形する暇も与えられず実戦投入されエンジンの馬力は上がっているにもかかわらず速度性能はほとんど向上出来ないままに使用されることを余儀なくされました。
    ようやく主翼端整形がなされたのは太平洋戦争末期になってから零戦五二型からでした。
    軍部が押すエンジンを開発メーカーに押し付けて失敗した事例は他にもあり零戦の後継機に予定されていた烈風でも軍部は三菱製エンジンの搭載を最後まで認めず中島製の誉エンジンを搭載しろという命令を撤回しませんでした。
    その結果、烈風の性能は要求値を下回り開発中止となりました。
    しかし三菱が自社の主張を通し勝手に自腹で三菱製エンジンに換装してテストした結果、性能は向上し要求値を達成、結果を聞いた軍部は採用だ採用だと喜びましたが時期既に遅く終戦となりました。
    当時の軍部の押し付けは本当にあった話なのです。
    開発に携わった人、本人が語っていたのですから。
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  • 174権兵衛
    2014/02/05(水) 16:40:50 ID:LsS4VbxMO
    零戦の開発中は、海軍側と技術者側の意見のすり合わせの余裕もあったけど、対米戦に突入してから零戦の優位が保てないようになると部隊からより速度を向上した新鋭機の要望が矢継ぎ早に届き、海軍も切羽詰まり技術陣側に無理難題に近い要求をしたんやな。
    零戦32型も翼端の角ばった型は、堀越技師の静養中に他の技師によるもので、職場復帰後に32型の翼端を見て不本意だと言う思いを禁じ得なかったそや。
    烈風は、試作の段階から実現化の可能性は皆無に近い機体やったかもな。
    一般的に烈風は海軍側のエンジン選定ミスの事が取り出されるけど、史実は烈風の試作が内示された時にはハ43は試作中で、昭和20年に入っても実用化には今一歩のエンジンで、最初から三菱製のハ43搭載に決定していても決しても早急にな烈風の部隊配備は不可能やったんやな。
    烈風試作には実現化になりつつある誉型エンジンを搭載予定とするのは、至極、当然で理に適った事やろな。
    ただし烈風試作の段階で海軍側が犯した大きななミスは、翼面荷重を指定した為、その数値をクリアーするには機体自体の巨大化は、避けられず、自ずと誉型エンジンでは馬力不足になる事が堀越技師には分かっており、開発中の自社エンジン以外には要求性能達成は不可能と断定し、執拗に海軍側にハ43搭載を提言した訳やな。
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