ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型
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ちまたでは永遠の0が映画上映中ですが私もDVD販売待ち派です。
実際に飛行可能な零戦自体は希少なものです。
そしてその中にあって更に更に希少な存在になりそうなのがオリジナル栄二一型エンジンを搭載して飛行可能状態にしようと計画されている零戦三二型です。
今現在は飛行可能な零戦三二型は世界中どこを探しても一機も存在していませんからね。
(零戦三二型…栄二一型エンジンに換装し動力性能向上を狙い、主翼端を切り主翼を短くして横転性能と高速性能の向上を狙った型。当時のアメリカ軍は他の型の零戦とはまるで別機種だと思い込んでゼロ/ジークとは違うハンプという別の名称で呼んでいました。)
期待が高まります。
ロシアに送って再生した零戦二二型一号機/二号機/三号機の写真
零戦三二型のカラー化写真
アメリカ軍による飛行テスト中の零戦三二型写真
を貼ります。 -
零戦三二型は日本や世界中に保存展示されている零戦の中でも数が少なく元々希少。
新しい型のエンジンに換装し主翼を短くしたことにより速力、上昇力、加速性能、横転性能は確かに向上したのですが、その代償として航続距離が短くなり旋回性能が若干低下したため、これを嫌うパイロットも居たそうです。
しかし、他方ではこの零戦三二型の性能の方が良いとして好むパイロットも居たそうですからそこは乗るパイロットの好みの差というか使い方、戦い方の選択の違いなのだと思われます。
敵対していた当時のアメリカ軍戦闘機は軒並み重戦的性格に作られた戦闘機ばかりでしたから軽戦的性格(横の戦闘に強い戦闘機)を好むのか?重戦的性格(縦の戦闘に強い戦闘機)を好むのか?次第で大きく評価が分かれるところです。 -
当時の日本の戦闘機のものづくりとしての考え方は先ず第一は小回りの利く機動性能ありきでその他の性能項目は二番目以降にされていました。
そのため不思議な話ではありますが当時の軍が審査する際は戦闘機とは全く違う別の用途に使う軍用機でも何故か小回りの利きはどうかというところまで評価の対象とされていました。
そのようにして作られていた日本製戦闘機は横の戦闘に強いため外国製戦闘機と対戦した場合に空中戦を行うと勝つのがほとんどでした。
太平洋戦争の前半戦で外国製戦闘機がバタバタと落とされまくったのはこれが理由でした。
しかし後半戦になると外国製戦闘機は横の戦闘には巻き込まれないように避けて縦の戦闘を仕掛けて来るように全面転換して来たため形勢が逆転し日本は負け戦に転じることになりました。
横の戦闘とは巴戦でありドッグファイトであり俗にいわれる空中戦のこと。
縦の戦闘とは一撃離脱戦法でありロッテ戦法もサッチ・ウィーブ戦法も基本的には一撃離脱戦法の一種。
要は太平洋戦争後半戦アメリカ軍戦闘機は空中戦をしなくなり、上空から勢い付けて高速で迫り撃っては逃げ撃っては逃げを繰り返す戦い方に大転換したというのが事実でした。 -
日本の当時の戦闘機パイロットの間では昔からの巴戦の性能を重視する人たちが大多数ではありましたが実際に対峙した敵国の戦闘機パイロットの戦い方を目の当たりにして一撃離脱戦法に適した戦闘機が良いと考える者や一撃離脱戦法にも適し巴戦にも適した戦闘機が良いと考える者など昔ながらの戦法だけにとらわれずいろいろと主張する者が現れていたのは確かでした。
それでもその頃にはそれらに十分に応えてやるだけの余裕が日本にはなくなっていました。 -
そういう苦しい戦局の中にあって計画、開発、生産をする側も只々、手をこまねいていたわけではなく予定は遅れつつも新型戦闘機を作る努力は続けられていました。
そうして陸軍(代表でいえば疾風)でも海軍(代表でいえば紫電改)でもそれぞれに一撃離脱戦法にも適し巴戦にも適した新型戦闘機を送り出し始めていたのですが国力の衰えた日本にとって十分な品質と十分な数を揃えてやるのは至難の技であり敗戦する結果となりました。
しかしそれらの新型戦闘機はアメリカ軍側でテストされそのほとんどが高い評価を受けていました。
総じて品質の良い物資を使い数を揃えられていたらアメリカ軍側に相当な被害があったに違いないと驚愕されていたのが事実でした。
それら諸々のことがあり戦争で日本に勝ったとはいえそういう部分では日本に対する敬意をはらっているアメリカ人もそれなりに居るということでしょう。 -
日本海軍戦闘機の零戦の後を継ぐものは何だったのか?
それは三菱製 十七試艦上戦闘機「烈風」になるはずでした。
順調にいけばそうなるはずでしたが、零戦の試作機が十二試艦上戦闘機でしたから実に五年のブランクを空けての後継機でした。
戦時下にあっては全ての兵器の技術の進展は平時とは比較にならないほど急速に進みます。
それを考えると敵であるアメリカ軍は次から次へと新型機を開発しては実戦投入していたのに五年もブランクを空けたことは大きな失態でした。
長いブランクが空いた原因は軍上層部の零戦への信頼感の高さもありましたが、具体的には零戦の改良型の開発と対爆撃機用の局地戦闘機「雷電」の開発に技術者がとられてしまい手が回らなかったのが実状でした。
参考までに画像は烈風と雷電です。 -
「雷電」は十四試局地戦闘機。
折しもアメリカ軍の四発重爆撃機ボーイングB-29による日本本土爆撃の脅威が迫っていましたから、これに対する対抗手段を模索していたのは当然の流れではありました。
しかしエンジン技術分野で弱かった日本には強力で小型な戦闘機用エンジンに適当なものがなく苦肉の策として爆撃機用の大型エンジンを採用したため、それに伴い開発は難航を極め長引きました。
その努力の成果もあってか戦後アメリカ軍にテストされた「雷電」への評価はかなり高いものでした。
大型とはいえ出力の高い爆撃機用エンジン(1800馬力級エンジン火星)を搭載し空力的に洗練された紡錘形の胴体に四枚羽のプロペラ、通常翼と層流翼を絶妙にミックスさせた主翼(内翼側のみ層流翼としていた)を持っていましたからアメリカ製戦闘機お得意の一撃離脱戦法も問題なく行えて日本戦闘機お得意の巴戦にも強いという戦闘機に仕上がっていたからでした。
但し問題は艦上戦闘機としてではなく局地戦闘機として開発されていたため航続距離も短く(短いとはいっても増槽付きでは2520kmは飛べだ)離着陸特性も零戦のようには良くなかったので零戦の後継機には成り得ませんでした。
局地戦闘機「雷電」の現存機は戦時中フィリピンで滷獲されたものがアメリカのプレーンズオブフェイム博物館に屋内展示されています。たぶんこれが唯一の現存機だと思います。
模型による局地戦闘機「雷電」の三面画像とプレーンズオブフェイム博物館にある局地戦闘機「雷電」の画像を貼ります。
「烈風」の開発もエンジン開発(戦闘機用小型高出力エンジン誉)の不調から難航しました。 -
画像で見る外見からもお分かりの通り「雷電」は戦闘機用には不向きな大きいサイズの爆撃機用エンジンを使うしかなかった関係上、機体設計に相当な苦労を強いられました。
その姿を見れば苦労がヒシヒシと伝わって来ます。
エンジンの前には延長軸を設け、その前には冷却空気を強制的に取り込むための強制冷却ファンを配置し、そのまた前に幅広ブレードの四枚羽プロペラが配置され、それら強制冷却ファンまでを外板で覆い紡錘形に絞り込んでありました。
大きいサイズのエンジン搭載でもどうにかして空気抵抗を減らそうと努力した結果でした。
翼は前述した通り内翼側を高速が出し易い層流翼断面として外翼側は通常翼断面として高性能化を図っていました。
もちろん捩り下げの技術も使われていました。
高速も出せて小回りも利きアメリカ軍が手強い相手だと思ったのも無理もない話でした。
アメリカ側では零戦や雷電などの日本製の軍用機を滷獲して徹底的に調査していましたが捩り下げの技術については判らずに居ました。
この妙技をアメリカがやっと理解出来たのは戦後になってからの話です。 -
アメリカ軍側でテストされた雷電は高い評価を受けており、日本側で問題になっていた悪い点はアメリカ軍側ではさして問題とされず、当時の我が軍のどの戦闘機でも対戦したら互角か又は負ける可能性が高いとして雷電に対し好評価を与えていました。
日本側での雷電に対する評価はあまり良いものがなく苦労して開発された割には劣等生扱いでした。
当時の日本では零戦が何の任務でもそつなくこなす、あまりにも優等生的な存在だったために新型機を開発する際は何でも零戦の性能が基準となっており、零戦より速いとか、零戦より小回りが利かないとか、という表現で何でも零戦の性能との比較が基準とされていました。
軽戦の代表選手たる零戦に慣れ親しんだ者が大半だったため重戦に分類される雷電はそれだけでも敬遠されました。
エンジン延長軸系から来る振動問題、直径が大きい胴体やファストバック形式の風防から来る視界の悪さ、長い離陸距離や速過ぎる着陸速度など、零戦と比較すると悪い評価のオンパレードで努力の割に不遇な新型戦闘機でした。
しかしアメリカ人にはこれらの問題点は全く問題視されなかったことを見ると当時の日本側はかなり神経質な評価を下していたために有能な戦闘機を持っていながら有効に活用出来なかったという結論になりそうです。
太平洋戦争終結時に日本を占領したアメリカ軍がアメリカ本国に向けて送ったリポートの内容と重なる気がします。
そのリポートの内容には「日本には優れた人材、優れた技術があり、優れた物も作り出せる状況にありながらも、それを十分に有効活用することに失敗した結果がここにある。惜しいことだ。」とありました。 -
海軍の三菱製「雷電」と陸軍の中島製「鍾馗」を比較した写真。
連合軍によるテスト飛行のひと駒で三菱「雷電」とアメリカ海軍艦上戦闘機グラマン「F-6Fヘルキャット」、イギリス軍のスーパーマーリン・スピットファイア戦闘機が同時に飛行している写真。
を貼ります。
一枚目の写真を見ると入手出来る大馬力エンジンは大きなサイズの爆撃機用エンジンしかないという同じく苦しい環境下の同じ日本にあって同じく大変な苦労を強いられたこの二機種。
海軍の三菱製「雷電」と同じく陸軍の中島製「鍾馗」も良く出来た優秀な戦闘機でしたがテストしたアメリカ軍側からの評価は高く日本側では劣等生扱いでした。
しかし同じような環境で同じような冷遇を受けながらも両機の側面写真を見ると三菱と中島のそれぞれ個性の違いが際立って目立ちます。
二枚目の写真を見ると同じく大きなサイズのエンジンを搭載しデブな機体を作っても日本機とアメリカ機の出来上がりの違いが明瞭に判ります。
国民性の相違なのでしょうか、同じデブ戦闘機でも日本機の場合は身の引き締まったデブマッチョです。
日本機の場合は一心に磨き上げるように造り込むような日本人の性格が表れているようです。
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用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者: 大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年(昭和14年)4月
生産数:10,430機
運用開始:1940年(昭和15年)7月
退役:1945年(昭和20年)8月