• 289
    2014/03/06(木) 02:31:19 ID:1bJfmMTgO
    ヘルシアさん、こんばんは。(゚▽゚)/
    現在の海上自衛隊での艦名の名付け方は旧日本海軍からすると違ったりしていますが紀伊や尾張のようなそんな名前も将来また使われるかもですね。
    外国の海軍では人の名前を付けたりしますけど日本では人の名前は付けませんね。
    沈んだ時に縁起が悪いし国民の士気も低下しますから。
    戦艦紀伊と尾張は大和級戦艦と同規模の船体に50.8cm連装砲三基と長10cm連装砲を多数搭載と書きましたがこの長10cm連装砲がまた高性能でした。
    最初に防空用の秋月級乙型駆逐艦の主砲として使用され迂闊に近付いたアメリカ軍の爆撃機コンソリデーテッドB24リベレーターだったかB25ミッチェルだったかをいきなり三機も撃墜したため、アメリカ軍から特に警戒対象とされていました。
    この長10cm連装砲は口径が60口径か70口径ほどもあり長い砲身によって対空用にも対艦船用にも使える両用砲でした。
    その良い評判から搭載を予定されたのだと思います。

    戦艦紀伊が実現されていたらこんな姿という模型の画像を貼ります。
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  • 290
    2014/03/06(木) 08:43:01 ID:1bJfmMTgO
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  • 291
    2014/03/06(木) 08:43:16 ID:1bJfmMTgO
    実現出来なかった計画艦大和級戦艦の発展型→戦艦紀伊とくればアメリカ海軍の計画艦戦艦モンタナの資料も貼っておきますね。
    戦艦モンタナの完成予想模型と二面図です。


    モンタナ級戦艦は50口径40.6cm三連装砲を四基、合計十二門搭載でそのぶんアイオワ級戦艦より大型化し日本海軍の大和級戦艦に匹敵するサイズの排水量となる予定でした。
    日本海軍の46cm砲や50.8cm砲に対するアメリカ海軍は40.6cm砲と劣勢に見えますが50口径という長い砲身と搭載砲門数の多さ、そしてスーパーハードシェルとよばれる新型の砲弾で日本海軍には十分対抗出来ると踏んでいたようです。
    モンタナ級戦艦は全般的に見るとアイオワ級戦艦(アイオワ級戦艦はアラスカ級大型巡洋艦に近い考え方で造られており戦艦と対決することも望まれながらも速い速度性能を利して空母機動部隊の護衛任務もこなすことを望まれていた巡洋戦艦に近い戦艦でした。)の拡大発展版ですがアメリカ海軍戦艦の長年の伝統を初めて破りパナマ運河の幅を超える艦幅になるよう計画されていました。
    それでも大和級戦艦の艦幅よりは細身でした。
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  • 292
    2014/03/06(木) 10:25:54 ID:1bJfmMTgO
    アイオワ級戦艦は一般的には大和級戦艦のライバル的戦艦であったように表現されることが多いです。
    しかし実際にはアイオワ級戦艦というのは33ノットという空母と同レベルの速い速度で空母機動部隊に随伴してまわり空母を護衛することが主目的の戦艦であり仮想敵に据えていたのは大和級戦艦ではなく高速戦艦に分類される日本海軍の四隻の金剛級でした。
    元々は巡洋戦艦であり後に戦艦へと艦種変更された金剛、霧島、比叡、榛名でした。
    この四隻の内、一番艦の金剛だけはイギリスのビッカース社に発注して建造され、その後の三隻は日本で建造された金剛級の姉妹艦でした。
    明治以来長らくイギリスに依頼して建造してもらっていた輸入戦艦もこの金剛が最後でその後日本は独り立ちして自前の力で戦艦をはじめとした軍艦を建造して行くことになりました。
    この金剛級戦艦群は30ノットを超える高速度が出せたため大切に温存される傾向の強かった日本の他の戦艦とは違い非常に重宝がられて酷使され太平洋を縦横無尽に活動してまわることとなりました。
    アメリカ海軍はこの金剛級戦艦群に自分の空母機動部隊が狙われることを恐れ対抗出来る空母護衛任務用戦艦を建造することを急務としていたのでした。
    とどのつまりがアイオワ級戦艦が仮想敵に定めていたのは27ノット程度の速度しか出せない大和級戦艦ではなく30ノットを超える高速度で空母機動部隊に迫ることが出来る金剛級戦艦群だったのでした。
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  • 293
    2014/03/06(木) 10:37:20 ID:1bJfmMTgO
    戦艦は古い種類の軍艦だといわれるのが一般的になってしまいましたが、戦艦が持つ大口径主砲の大きな火力にものをいわせ島にある敵の飛行場に延々と艦砲射撃を加え破壊してしまう運用方法を世界で初めて実践して見せたのも日本の海軍でした。
    当時これは戦艦の新たな利用方法でした。
    この時も移動速度の速い金剛級戦艦群は重宝がられ多用されました。
    金剛級戦艦群は本当にお疲れ様な船たちでした。
    頭が下がります。
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  • 295
    2014/03/06(木) 16:44:47 ID:1bJfmMTgO
    ヘルシアさん、こんにちは。(゚▽゚)/
    ほとんどの戦艦の主砲はヘルシアさん言われた通り砲弾と薬嚢と呼ばれる袋に入った発射用火薬を砲身に詰めて発射していました。
    薬嚢の量を増やしたり減らしたり砲身の俯仰角を変えたりして射撃で飛ばす距離を変更していたようですね。
    私も昔は全ての戦艦の主砲はそうなのだと思っていたのですが一部には薬莢を使うものも存在していたことを数年前にはじめて知りました。
    先日お話した第二次大戦中のドイツ海軍のドイッチュラント級ポケット戦艦がそれで基準排水量11700t(あくまでも表向きだけだと思われます)の船体に主砲として52口径28.3cm三連装砲を二基搭載していてこの主砲の砲弾が薬莢式でした。第一次大戦で敗戦国となったドイツは戦勝国に都合良く作られたベルサイユ条約を突き付けられ保有してもいいとされる軍艦に細かな制約を加えられており、この艦を建造する時も旧式の退役する軍艦の代わりの艦として建造してもよろしいとされたものの排水量は1万トン以下で搭載する主砲の大きさも口径28cm以下でなければならないなどという軍備抑制策を課せられていました。
    それでドイツが考えに考えて出来上がったのが通商破壊戦に特化した通称ポケット戦艦と呼ばれるドイッチュラント、アドミラル・シェーア、アドミラル・グラーフ・シュペーの三隻でした。
    ドイツはベルサイユ条約に従い排水量は1万トン以下に抑えたと公表していましたが、ぱっと見ても1万トン以下には見えませんし1万5千トン前後はゆうにいってるようにしか見えません。
    当時みんなもそう思っていたことでしょう。


    その二番艦アドミラル・シェーアの52口径28.3cm主砲の砲弾の薬莢の写真とジブラルタル海峡での二番艦アドミラル・シェーアの写真を貼りますね。
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  • 296
    2014/03/06(木) 16:58:22 ID:1bJfmMTgO
    当時直接遭遇する可能性があったのはアメリカ海軍の軍艦ではなく、敵となるのはほぼイギリス海軍の軍艦のみでした。
    当時のイギリス海軍の戦艦は22ノット程度のスピードしか出せなかったため、ばったり出くわしても26ノットという優速を利して易々と逃げることが可能で、逆に重巡洋艦に出くわした場合は敵は最大でも20cm砲しか持っていないので楽に敵重巡洋艦を圧倒し撃沈することが可能でした。
    誠に「自分に課せられた不利な制約を逆手にとった」素晴らしいドイツ独特の戦略でした。
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  • 297
    2014/03/06(木) 17:11:23 ID:1bJfmMTgO
    ドイツのポケット戦艦の戦略は↑に書いた通りですが、いろいろな海上航路の近辺をうろうろうろつき邪魔者が居なくなれば本来のお仕事である通商破壊活動に専念し武装を持たない輸送船を探しては沈めまくり永遠の宿敵イギリスを兵糧攻めに遭わせるという日常でした。
    それを可能とするために船体にはアルミなどの軽金属を使い軽量化して航続距離を長く出来るディーゼルエンジンを動力とし当時としては斬新な技術を惜しみなく投入した小型戦艦となっていました。
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  • 298
    2014/03/06(木) 18:28:12 ID:1bJfmMTgO
    大和級戦艦も計画当初は長大な航続距離が得られて敵弾を被弾した時にも火災になり難い機関であるディーゼルエンジンを動力にしようと考えられていました。
    しかしこれらの長所を持ちながら大和級戦艦の船体という巨体を十分に動かせるだけの大出力のディーゼルエンジンを作るのは当時の日本にとってはかなりハードルが高く動力の不調という不安材料を抱えるよりはここは手堅く従来型の機関を採用しようということになり結果として優秀とはいい難い最大速力や航続距離になりました。
    その点を考えると当時としては大型艦用のディーゼルエンジンを実用化出来ていたドイツはさすが技術立国という感じです。
    単純な比較の一例として同じ従来型の機関を使っていても実用的に使用出来るエンジン内部の燃焼温度の高さの違いを見較べれば日本とドイツでは歴然とした差が存在しました。
    燃焼温度を高く設定して使っても問題が発生しないということはそれだけ基礎技術レベルの水準が高いということでありそれだけエネルギーを引き出せる効率が高く高出力エンジンにもなるということです。
    ドイツよりも低い燃焼温度で運転しないと直ぐに異常をきたしたということは残念ながら日本の技術レベルがドイツよりも低かったという証です。
    構成部品の材質や加工精度が技術的にも劣っていたということでしょうね。
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  • 299
    2014/03/06(木) 19:19:59 ID:1bJfmMTgO
    当時の日本の細かな基礎工業技術レベルの水準がドイツよりかなり劣っていた端的な事例としては潜水艦がありました。
    ドイツは第一次大戦の時代から第二次大戦に至るまで世界中に名が知れ渡っていたUボートという潜水艦で世界中を震え上がらせたことで有名です。
    基本的にドイツの潜水艦は小型高性能で大量生産型の潜水艦、日本の潜水艦は大型で大量生産向きとはいえない潜水艦でした。
    大きさだけでいえばこの二国の特徴は現在でも同じ傾向を継承しています。
    当時違っていた二国の差は基礎技術力の差による基礎的な性能差でした。
    太平洋戦争当時秘密裡にドイツに派遣された遣独派遣団の日本の潜水艦は途中で連合軍に沈められたものも多くやっと辿り着けた潜水艦もありました。
    日本の潜水艦は元々は第一次大戦でドイツから戦利品として譲り受けた潜水艦、ゲルマニア造船所で造られたUボートの研究から発達した大型の外洋型潜水艦で当時ドイツで主流だったUボートの倍以上の大きさでした。
    船体が大きいということはたくさん物を搭載出来るため遠くの海まで進出して活動するのには有利でした。
    しかし当時の日本の基礎工業技術レベルはドイツより劣っていたためネジ一つから船体に至るまで質が良くありませんでした。
    ドイツ占領下のフランスの軍港にやっとのことで辿り着いた日本の伊號潜水艦は出迎えてくれたドイツ軍のスタッフに後から「これでは海中に潜航しながら大声でここに居るよ〜と叫びまくっているのと同じだなあ」とわれたそうです。
    それだけ日本の潜水艦が出す海中ノイズは酷かったそうで闇夜の提灯状態(敵に直ぐに狙い撃ちされるような状態)だったそうです。
    そしてドイツと取引した品々を搭載して日本へ帰国する際にはこのままの状態ではあまりに酷すぎて直ぐに敵に居場所を探知され沈められてしまいますよというアドバイスを受けドイツの技術スタッフによりノイズ防止の対策を施してもらい帰国したそうです。
    艦内にある架台へのエンジンのマウント方法から何から何まで様々な部分に改良とアドバイスをしてもらうほど基礎的技術レベルに大差が存在していたようです。
    昔、潜水艦の多くの技術を教えてくれた先生の母国を訪問してまた再び先生からいろいろと教えてもらったという感じですね。
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