ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型
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当時の中国軍の軍用機は全て外国製の飛行機の寄せ集めといっても過言ではない状況で勿論自前で開発する能力などは皆無でした。
外国製をコピーする力すら皆無でした。
ソ連製のポリカルポフI-16は出現当初は世界で初めての金属製低翼単葉引き込み脚付きの戦闘機でしたが零戦相手に戦うのは少々無理があり過ぎでした。
ポリカルポフI-16はスペイン内戦でもドイツとソ連が戦った東部戦線でもいつもやられ役でした。
中国大陸でも同じでした。
数はうるさいハエのようにたくさん居るのにいつも落とされてばかり世界中どこへ行ってもハエを意味するようなニックネームで呼ばれていました。
ドイツ軍戦闘機パイロットに撃墜数三百数十機なんて途方もない数を誇る者が現れたのも納得なわけです。 -
東部戦線でのドイツ軍戦闘機パイロットたちは戦争の初期に大量に保有されていたポリカルポフI-16などの戦闘機を撃ち落とし尽くしたまでは大量スコアで良かったのですが、代わりに戦線に投入されて来るミグ(ミコヤン&グレヴィッチ)やヤク(ヤコヴレフ)やラグ(ラボーチキン)の新型戦闘機に苦慮する羽目に陥りました。
これらのソ連製新型戦闘機は低中高度での空中戦ではドイツ軍のメッサーシュミットBf109やフォッケウルフFw190戦闘機と互角に戦えたからでした。
おまけに数はこれまた怒号のように大量に押し寄せたので堪らないという状況に陥って徐々に敗戦へと向かいました。 -
これらのソ連製新型戦闘機群は木製、木金混合製、金属製の機体があり、ソ連が大量に保有していた非戦略物資である木材(ソ連には広大な森林地帯がある)を大量活用していたため怒号のような大量の戦闘機が戦線へ送り込まれたとうわけでした。
さすがのドイツ軍もタジタジになったのもうなずけるでしょう。 -
ソ連製新型戦闘機群は木製、木金混合製、
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木製 金属混合の戦闘機
ビックリです、
メッサーシュミットは
知ってます、ハィ -
戦争を始める時は資源の調達が継続して可能かどうかを真剣に考える必要性が必須です。
特に戦略物資の他に非戦略物資であっても活用可能かどうかを考慮に入れておくくらいの慎重さが国の指導者には不可欠です。
戦略物資である金属以外で非戦略物資である木材を使用して成功を収めた事例としてはイギリスのデハビラント・モスキートがあり強度と軽量化のバランスをうまく取ることに成功したため偵察機や夜間戦闘機としても一級品の軍用機になりました。
ドイツ軍のメッサーシュミットBf109やフォッケウルフFw190もプロペラブレードは木製合板と接着剤を多用していました。
日本はというと戦争の旗色が悪くなった戦争後半に戦略物資が枯渇して来て遅ればせながら軍用機の木製化や鋼製化の試作機を造りましたが、普段から研究していなかったためノウハウが足りず失敗に終わりました。
戦略物資と非戦略物資の調達を考えることは地味な裏方の仕事のようですが実は戦争の勝敗を大きく左右する事柄でした。 -
そういう意味合いもあり実はアメリカが1番恐れていた日本の兵器は和紙で作られた風船爆弾でした。
冗談話のように受け取られがちですが、戦後アメリカ自身が公表した事実です。
無尽蔵に作れて偏西風を利用するため推進動力要らずで爆弾以外の毒ガス兵器や細菌兵器にも積み替え可能であったためアメリカは本気で怖がっていたのでした。 -
厳密にいえば、使われていたのは和紙とコンニャクと縄(ロープ)でした。
いずれにしても非戦略物資ばかりで構成されていたのは確かです。
そして本当はハイキングをしていたアメリカ人の幼稚園児たちと先生が風船爆弾の被害に遭っていたのですが、被害の真実をまともに報道したら日本人が調子に乗って戦意高揚のプロパガンダに利用するとしてアメリカは箝口令を敷き報道官制を敷いて一切報道しませんでした。
そのため日本では風船爆弾の効果は薄いとして大々的な打ち上げはしませんでした。
しかし、真実を見抜き大々的な風船爆弾攻撃を実施していたらアメリカ本土のアメリカ人たちをパニックに陥れる効果は十分期待出来る兵器でした。
風船爆弾によるアメリカ人被害者の記念碑は今もアメリカにあります。 -
風船爆弾 ?
知りませんでした、
そのような、映画や小説など、ありませんでしたから、
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何年か前に実際にこの風船爆弾の製作にあたっていた当時、勤労動員の女子高生が今はお婆さんとなりNHKの特集番組に出て来て当時の実話をお話されていました。
今の日本人が聞きたがらず知りたがらないお話。
楽しくも面白くもない今の日本人には聞き心地の悪いお話、でも本当は大事なお話でした。 -
現代の復元技術を使って飛行可能なところまでレストアされた零式艦上戦闘機二一型(A6M2b)。
アメリカ大陸上空を飛行しているところです。
現代のジェット戦闘機は多目的戦闘機と呼ばれるものが普通になっていますが、日本が作った零戦は当時としては時代を先取りしたような戦闘機でした。
スピードは世界各国の戦闘機より若干劣るが、後続距離は4〜5倍はあり空中戦時の機動性は群を抜いており武装は強力で爆弾も搭載出来て、この当時から既に何でもこなす多目的戦闘機でした。
おまけに世界各国の陸上専用戦闘機よりも性能が良く陸上基地でも海上の空母でも使うことが出来た正に多目的な戦闘機でした。
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用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者: 大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年(昭和14年)4月
生産数:10,430機
運用開始:1940年(昭和15年)7月
退役:1945年(昭和20年)8月