ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型
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第二次大戦が終わり、つかの間の平和が訪れるかに思われましたが、自由主義諸国と社会主義諸国との間では既に対峙が始まっていました。
そして朝鮮戦争が勃発しました。
この戦争は社会主義国のソビエト連邦と中華人民共和国に後押しされた北朝鮮と自由主義国のアメリカ合衆国とイギリスに後押しされた韓国が戦争をするという代理戦争でした。
時は折しもプロペラ機からジェット機へと移り変わろうとする過渡期でした。
まだまだ登場したてのジェット機の信頼性の低い部分は長年の使用実績があるプロペラ機が補うような両用の時代でした。
しかしジェット機より信頼性のあるプロペラ機でも有用性が見いだせないものは退役へと追いやられました。
この戦争の時の社会主義側(東側陣営)の主役的戦闘機はミコヤン・グレビッチMig15、自由主義側(西側陣営)の主役的戦闘機はノースアメリカンF86Fセイバーでした。
どちらもジェットエンジンを持ち後退翼を備え性能的にも拮抗したそっくりな新世代戦闘機でした。
理由はソビエトもアメリカもナチスドイツから奪った先進技術を元に開発を行っていたからでした。
ソビエトはナチスドイツのフォッケウルフTa183フッケバインを手本としてMig15を開発し、アメリカはナチスドイツのメッサーシュミットMe262やメッサーシュミットP1101を手本としてF86Fセイバーを開発していました。
あっぱれナチスドイツの先進技術はその進んだ技術により第二次大戦後になって戦勝国同士を戦い合わせるという芸当を引き起こしたのでした。
参考写真として
・Mig15とF86Fセイバーの飛行写真。
・フォッケウルフTa183フッケバインの透視図解。
・アメリカに運ばれたメッサーシュミットP1101の側面写真。
を貼りますね。
第二次大戦中、連合軍ではイギリスがグロスターミーティアを開発しアメリカがベルP59エアラコメットを開発している程度でいずれも旧態依然とした直線翼に低出力の遠心式ジェットエンジンのジェット機でしかなくプロペラ機程度のスピードしか出せない低性能機だったためナチスドイツの先進的技術によるジェット機の技術は喉から手が出るくらいに欲しいものでした。→連合軍によるナチスドイツの先進技術の奪い合いへ。 -
参考写真のフォッケウルフTa183フッケバインの透視図解を見ても判るようにナチスドイツでは第二次大戦中に既に現代の世界のジェット戦闘機が定番として装備するような装備のかたちを確立しようとしていました。
機銃ももちろん装備していましたが有線誘導式のルールシュタール・クラマーX4誘導ミサイルを通常装備。
現在よりも交戦時のお互いの距離が遥かに近かった当時の状況から考えるとかなり有効な兵器だったといえます。
この手の有線誘導ミサイルは現代では陸上装甲車輛を破壊するための兵器(アメリカのTOWミサイルやフランスのHOTミサイル、ソビエトのサガーミサイルや歩兵携行式のRPG-7など)として世界中でベストセラーとなっており今現在でも大量に使用されています。
開発の元になったのはナチスドイツのルールシュタール・クラマーX4有線誘導ミサイルの仕組みでした。 -
第二次大戦終結直後までのアメリカの兵器開発技術は他国より抜きん出ていたわけではないという事実を如実に示す象徴的な写真があります。
添付写真は1952年アメリカ海軍ジェット艦上戦闘機FJ-1フューリーと並んで飛行するアメリカ海軍ジェット艦上戦闘機FJ-2フューリーです。
FJ-1フューリーは来るべき日本海軍の新型艦上戦闘機に対抗する目的で太平洋戦争末期に開発が始められていたもので胴体はジェットエンジン搭載用に新しく作られそれにノースアメリカンP51ムスタングの主翼と尾翼を組み合わせた直線翼のジェット艦上戦闘機でした。
朝鮮戦争の当初は敵である北朝鮮軍が空軍力らしい戦力を持っていなかったため西側陣営は直線翼ジェット戦闘機と第二次大戦中のプロペラ戦闘機で戦っても十分な状態でした。
しかしソビエト連邦から大量に供与されたMig15戦闘機を装備した中華人民共和国軍が北朝鮮軍の援軍として飛来するようななると様相は一変し西側陣営は苦境に立たされることになりました。
そのためアメリカは東側陣営のMig15戦闘機に対抗出来る戦闘機の実戦投入に迫られ、急遽FJ-1フューリーにナチスドイツから奪い取った後退翼の技術を大幅導入した大改造を施すことになりました。
こうして生まれ変わったのがFJ-2フューリー(F86Fセイバーの海軍版)でした。
アメリカ陸軍→アメリカ空軍でも同時進行的にほぼ同じものを採用していたため、取り急ぎF86FセイバーはMig15の対抗馬として朝鮮戦争に実戦投入されました。
この対応により西側陣営は戦局を盛り返すことに成功し南北朝鮮は現在のラインで休戦状態になっています。 -
↑この添付写真を見ても判る通りナチスドイツから奪い取った先進技術を大幅導入する前のアメリカオリジナル技術による戦闘機はたとえ動力だけがジェット化していても低性能で見た目もダサかったのでした。
これらの事実から歴史を見ていくと物凄く技術力のある国というのは例外なく戦争をして敵国を打ち負かした後は敵国の技術を奪い取り吸収して更に高い技術力を身につける。
これを絶えず繰り返しているといえます。
世の中、理由もなく特定のある国だけ技術力が強大になるなんてマジックみたいなことはないのです。
手品(マジック)にも必ず種があるように理由や原因が存在するということですね。 -
アメリカ空軍はナチスドイツから奪い取ったメッサーシュミットP1101をベル社に命じてデッドコピーさせX5を作りました。
メッサーシュミットP1101は元々は可変後退翼の実験機として作られていたため地上で主翼の後退角を変更することが出来るジェット機でした。
アメリカはこれに独自の改良を加え飛行中でも主翼の後退角を変更出来るようにして可変後退翼の実験機としてデータを収集し後の戦闘爆撃機ジェネラルダイナミックスF111アードバークや艦上戦闘機グラマンF14トムキャットの開発に役立てました。
参考写真として
・メッサーシュミットP1101とベルX5の側面写真。
・ベルX5の可変後退翼の様子が判る写真。
・下から上へ順番にアメリカ海軍グラマンF10Fジャガー可変後退翼艦上戦闘機、アメリカ空軍ジェネラルダイナミックスF111Aアードバーク可変後退翼戦闘爆撃機、アメリカ海軍グラマンF14Dトムキャット可変後退翼艦上戦闘機の写真。
を貼りますね。
みんなナチスドイツの先進技術の恩恵によるものばかりです。 -
他にもあります、もう退役しましたが宇宙と地上との間を頻繁に往復する唯一の乗り物として世界中に名を馳せたアメリカのスペースシャトルも元を辿ればナチスドイツの先進技術の恩恵の賜物でした。
ナチスドイツのアレキサンダー・リピッシュ博士(彼は人類史上最初で最後のロケット戦闘機メッサーシュミットMe163コメート〔彗星の意味〕の機体設計にも大きな役割を果たした人物)が作ったDM-1という無尾翼の実験飛翔体とその設計を受け継ぎ作られる予定だったP.13aジェット戦闘機。
アメリカはこの先進技術を元にリフティングボディと呼ばれる滑空飛翔体の実験機などを作り研究を重ねスペースシャトルを実現しました。
それからスペースシャトルの構想自体、第二次大戦終結後にドイツからアメリカへ渡ったヴェルナー・フォン・ブラウン博士の発想そのものであり彼なくしては実現出来ないものでした。
アポロの月面着陸も実は彼がアメリカに居て協力したからこそ実現出来た偉業でした。(事実アメリカ人だけのプロジェクトチームでは失敗を繰り返していました)
参考資料として
・DM-1の写真。
・DM-1とP.13aの模型。
・P.13aの模型(後部)。
を貼りますね。
P.13aは画像を見ても判る通りこの時代に既にラムジェットエンジンと二次元式ジェットノズルを使い最大速度1650km/hを目指して開発されようとしていました。
アメリカではオリジナルのジェットエンジンは一つも持っておらず、辛うじてベルP59エアラコメットがイギリスのパワージェットW.1遠心式ジェットエンジンを手に入れ少改良を施したものを使いやっとのことで690km/h前後の最大速度を出したばかりの時代でした。(ジェット機なのにプロペラ機のノースアメリカンP51ムスタングにも負ける最大速度でしかありませんでした) -
第二次大戦当時と第二次大戦直後の世界各国での初のジェット軍用機開発状況は以下の通りです。
ドイツではメッサーシュミットMe262がユンカース製Jumo004B軸流式ジェットエンジンを2基搭載して1942年4月に初飛行。
アメリカではベルP59エアラコメットがイギリスのパワージェットW.1遠心式ジェットエンジンを少改良したジェネラルエレクトリックJ31-GE-3を2基搭載して1942年10月に初飛行。
イギリスではグロスターミーティアがロールスロイスW.2B/23C遠心式ジェットエンジンを2基搭載して1943年3月に初飛行。
日本では中島飛行機 特殊攻撃機(体当たり攻撃に使うものではなく500kgもしくは800kg爆弾を搭載し670km/h前後の高速を利して攻撃を行う用途の攻撃機)橘花が唯一の資料ドイツのBMW003Aの断面図だけを参考に→空技廠/石川島重工業が協力して独自開発したネ20軸流式ジェットエンジンを2基搭載して1945年8月に初飛行。
(橘花はMe262の模倣版だといわれることがありますが正しくは全くの別物、運用用途も違えば機体サイズも一回り小型で形状も別物、Me262の技術情報がほぼ手に入らなかったため、日本独自の設計となっています。)
ソ連ではミコヤン・グレビッチMig9がドイツのBMW003軸流式ジェットエンジンをコピーしたRD-20を2基搭載して1946年4月に初飛行。胴体内に2基のジェットエンジンを搭載していましたが機首部分の左右の空気取り入れ口の真ん中に機銃を装備していたのが災いして失敗作になっていたようです。
ソ連では政治的理由によりMig9が初飛行するまで初飛行は許されませんでしたがヤコブレフYak15がドイツのユンカース社製Jumo004軸流式ジェットエンジンをコピーしたRD-10を1基搭載して1946年に初飛行。
第二次大戦で大量使用されたプロペラ戦闘機Yak3の液冷式ピストンエンジンを撤去し替わりにジェットエンジン1基を無理矢理取り付けた構造のジェット機でした。
こうして見るとジェットエンジンとジェット軍用機の開発ではドイツが最も早く尚且つ進んでいました。(ドイツでは実際にはもっと早くに1941年3月30日にハインケル社がHeS8a遠心式ジェットエンジンを2基搭載したHe280というジェット戦闘機を初飛行させていましたが政治的理由に〔ハインケル社の社長だったエルンスト・ハインケル博士がナチス党員ではなかったのが原因〕より冷遇され後から遅れて初飛行したメッサーシュミット社製Me262ジェット戦闘機が優遇され〔メッサーシュミット社の社長だったヴィリー・メッサーシュミット博士はナチス党員だったため優遇された〕正式採用されていました。)
尚、進んでいたドイツでは軸流式ジェットエンジンと遠心式ジェットエンジンをミックスしたような高性能ジェットエンジンHeS 011がハインケル・ヒルト社で開発中でもありました。
連合軍の中では唯一イギリスだけが独自開発のジェットエンジンを持ち世界的にはドイツの次に進んでいました。
アメリカはイギリスのパワージェット社製W.1遠心式ジェットエンジンをイギリスから供与してもらい、これに少改良を加えて使っていましたから独自開発のジェットエンジンは一つもなく技術的に進んでいるとは言い難い状況でした。
日本はドイツからの技術情報を携えて帰るはずの潜水艦があと一歩のところで沈められ唯一日本に伝わったのはBMW003A軸流式ジェットエンジンの断面図のみとなり、ほとんどの部分は空技廠と石川島重工業の協力により独自開発され終戦直前に特殊攻撃機橘花を初飛行させるところまでは出来ました。
ソ連の場合は終戦から一年後の1946年にMig9、Yak15、Su9Kと各設計局のジェット戦闘機が初飛行しましたが、どれもドイツのユンカース社製Jumo004軸流式ジェットエンジンをコピーしたRD-10かドイツのBMW社製BMW003軸流式ジェットエンジンをコピーしたRD-20というコピージェットエンジンを搭載したものばかりでした。
ジェット軍用機開発で他国に遅れをとったという焦りから急げ急げと命令された結果スホーイ設計局のSu9Kなどはジェットエンジンもドイツのコピー、機体もドイツのメッサーシュミットMe262にあまりにもそっくりだったため時の権力者ヨシフ・スターリンの逆鱗に触れ怒りをかったともいわれています。 -
参考資料として
・上から下へ順番に日、独、英、米の最初のジェット軍用機(特殊攻撃機中島橘花/メッサーシュミットMe262A/グロスターミーティア/ベルP59エアラコメット)・ソ連最初のジェット軍用機(ミコヤン・グレビッチMig9/ヤコブレフYak15/スホーイSu9K)
の写真を貼りますね。
ソ連のスホーイSu9KはドイツのメッサーシュミットMe262Aに驚くほど瓜二つでしょう。
急げという上からの命令によほど慌てたのでしょうね。
しかし独裁共産主義国家だけに権力者の気分を損ね怒りでもかえばたとえ設計者でも粛清に遭う時代、運が良くても投獄、強制労働でしょうから今の北朝鮮とあまり変わらない理不尽な国。 -
0さん、
すごいなぁ、しかしドイツという国は、進んでましたね、
私の家庭のもめ事がありましたのて、しばらくコメント出来ませんでした、m(_ _)m
しかしこのスレの0さんのレスは、読んでましたよ、
ムービーはディスカバリーチャンネルの、
戦闘機のベストテンをやってましたので、
携帯でテレビを録りました、
FA-22 ラプター
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かなり高価な ラプター
つづきです、
↓↓
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用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者: 大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年(昭和14年)4月
生産数:10,430機
運用開始:1940年(昭和15年)7月
退役:1945年(昭和20年)8月