ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型
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パプアニューギニアから回収された残骸を元にリバースエンジニアリングという現代技術の復元手法を使って復元されたあとテストに望む零戦二二型。
その頃の写真です。
復元が済んだばかりで、まだ塗装されていない状態の姿だと、またそれもいいですね。 -
0さん、権兵衛さん、
解りやすく、コメント
おそれいります、
私は 零戦は、あまり詳しくなく、このスレで、
零戦に深く興味をもつ様になりました、
先日コンビニで
『零戦の真実』と言う本を買ってしまいました、↓↓
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恥ずかしながら、初めて知った
この本にかかれてある、
翼内燃料タンク、
五二型は自動消火装置付き
零戦が抱いている、ロケット爆弾かと思いましたが、 予備燃料タンクでした
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ヘルシアさん、おはようございます。
落下式燃料増加タンクを初めて装備したのは三菱零戦の一代前の先輩戦闘機である三菱の九六式艦上戦闘機だったといわれています。
それはスリッパ型増槽と呼ばれ、まだ洗練された形ではありませんでした。
運用コンセプトを受け継ぎつつ空力的にリファインを図り洗練された物にしたのが零戦でした。
これ無くしては3200km前後という零戦の長大な航続距離は実現不可能でした。
後から開発され出て来たアメリカの戦闘機などでは同じような落下式増槽を備えたものも出て来ましたが、同時期の諸外国製戦闘機の場合は見た目は似ているが落下出来ない固定式も多くありました。
長距離飛んで空中戦直前に落下式増槽を捨てて戦いに挑む運用方法の零戦の落下式増槽はその点では画期的だったといえます。
2013年も最終日なので零戦の戦場写真の中でも一番鮮明に撮れているといわれる写真のカラー化版を貼ります。
飛行中の零戦五二型極初期型と二二型です。 -
零戦が実戦投入された当時の世界の戦闘機は航続距離わずか600〜700km前後の物が一般的で、3200km前後もの長距離(連続飛行にすると11時間前後もの長時間)を飛んで行き空中戦をするなんて常識はずれもいいところだったので諸外国の軍では信じない者も多くいました。
特にアメリカ本国ではその情報の報告を受けても信じようとしませんでした。
しかし、これは事実だったため太平洋戦争の前半アメリカ軍は太平洋地域での航空戦力をほぼ全て失う手痛い目に遭うことになりました。
それでアメリカ軍は太平洋戦域に散らばる零戦の残骸を探し回り拾い集めては復元して零戦の秘密をあばこうと血眼になったといいます。
そうして得た技術情報を元にして自分たちの国の戦闘機開発に活用しました。
戦時中オーストラリアのイーグルファーム空軍基地のハンガーセブンには新品かと思うくらいに綺麗に復元された飛行可能な零戦があり、この零戦で性能特性の調査をして自国製戦闘機と模擬空中戦をさせたりして研究していたといいます。
アメリカ軍のそのバイタリティーも圧巻ではありました。 -
0さん、貴重なお話し、ありがとうです
零戦の 搭乗員は
椅子に座ったまま、同じ体勢で何時間も、操縦する際に、かなりの、睡魔に襲われるそうですね、
眠ったまま、海に墜ちて亡くなった方もいるとか
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しかしまいったなぁ、この『いつもチャンネルに』0さんや、権兵衛さんのように 零戦に詳しい方が
いらっしゃるとは、
まだまだ 知っている事ありましたら、
コメントお願いします、φ(._.)メモメモ
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零戦52型以降に装備された翼内タンクの自動消火装置は、当初、搭乗員達には気休め程度にしか思われてなかったそやけど、実際に被弾しガソリンに着火した次の瞬間に消火するのでその機能の高さに驚いたらしいがな。
これはガソリンに着火した場合、0.3秒以内に対策を講じる必要があり、零戦の消火装置の場合は、燃料タンクに熱感知器が装着され、炎により感知器が通電し瞬時に炭酸ガスを噴射する仕組みになってるねんな。
ワイが仕事で使ってる溶接器は、炭酸ガスで空気を遮断した中で鉄を溶かす仕掛けになっとるんやけど、作業中に洗浄に用意してるシンナーが染み込んだボロキレに飛び火して炎が上がっても溶接器のノズルから炭酸ガスを出すと瞬時に火が消えるんやな。
被弾して自動消火装置により撃墜を免れた機体は主翼一面に黒い煤が付着するので、着陸後に他の搭乗員にそれを見られて「地獄の閻魔様に通せんぼをされて良かっの。」とからかわれたんやな。 -
ヘルシアさん、権兵衛さん、おはようございます。
m(_ _)m
二日に跨がる深夜業務で昨晩から今朝にかけても仕事だったので日にちの感覚が麻痺して一日ズレて勘違いしてました。
今日が2013年の最終日でした。
零戦五二型極初期型と二二型の鮮明な戦場写真のカラー化版は本来なら今日貼るべきでした。
赤道付近の上空での写真のため使い古された実戦使用機なら大半が灼熱の日差しのために塗装が褪色し剥がれかけているのですが、この写真の機体は配備されたばかりの時の零戦みたいで新品そのもののようです。
原版の白黒写真で見てもそれはハッキリ判ります。
今日は1942年7月9日アリューシャンのアクタン島でアメリカ軍に発見され回収されて零戦調査研究の鍵となった空母龍驤の戦闘機隊の一人、古賀忠義一飛曹乗機零戦二一型の画像を貼ります。
回収後、飛行可能状態まで復元され当時のアメリカ海軍戦闘機の塗装とマークに塗られてテスト飛行中の姿です。
アリューシャン攻撃作戦の際にトラブルでアクタン島に不時着してしまった零戦二一型です。
草地と思われていた緊急時の着陸予定地は湿地帯であったためにひっくり返り古賀忠義一飛曹は頭部を強打して亡くなられていたそうです。
北方の海域特有の濃霧に阻まれ日本軍側では発見出来ず、たまたまアメリカ軍側に発見されてしまったようです。
アメリカが大喜びしたのは言うまでもありませんでした。 -
徹夜明けご苦労はん。
アクタン島で発見された零戦は、オイルラインに被弾しエンジン不調になり、着陸を試みたものの湿地帯に主脚を取られ
機体が横転し搭乗員は即死したんやな。
この零戦を調査したグラマン社の技術者達は機体の設計と製作技術が極めて洗練され、特に薄い外板を全く歪み無くフレームに張る技は、グラマン社の熟練工を上回るもので、加えて沈頭鋲による滑らかな機体表面処理に感嘆したそやな。
海軍の戦闘機パイロットからはワイルドキャットの主脚の操作は、手動による人力操作やのに零戦のそれは、油圧によりスイッチで操作できるのを羨ましく思ったそやな。
また通説では零戦の機体構造は、量産に不向きとされているけどグラマン社の技術者は、零戦の構成部材は大掛かりのプレス機械や精密な金型を用いなくとも簡単な木型等を用いて製作可能で、町工場レベルの所でも機体部材の量産が可能で人海戦術により大量生産可能な事を指摘してるのやな。
この簡単な木型により部材が作れる事によって現在でもリバースエンジニアリング工法により零戦が新造可能な訳やな。
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用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者: 大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年(昭和14年)4月
生産数:10,430機
運用開始:1940年(昭和15年)7月
退役:1945年(昭和20年)8月