ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型
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さすが、権兵衛さん
おそれいります(≧ω≦)
空母エセックスに突入する 彗星と。
戦艦ミズーリに命中寸前の零戦でしたか
戦艦ミズーリと言えば
無条件降伏署名した、戦艦?、
調印式には、かの幕末の黒船来航の時の星条旗(現在よりも☆の数が少ない)
を 戦艦に飾ってあったとか、 -
皆さんこんばんは。(゚▽゚)/
ヘルシアさんの232番の画像の一枚目はもう少しいうなら太平洋戦争当時の日本の海軍航空技術廠が設計開発し愛知飛行機が生産することとなった艦上爆撃機彗星を三菱製金星空冷星型エンジン搭載に改良した三三型です。
チノエアショー2013での彗星三三型の復元機の写真。
倒立V型液冷式エンジン搭載型の彗星一一型の写真を貼ります。
参考に見て下さい。 -
艦上爆撃機彗星についてもご他聞に漏れず、当時関わっていた人たちが大変に苦労させられた話はたくさん語り継がれています。
艦爆彗星が掲載されている書籍類を見るか艦爆彗星と入力して検索すればそのことが良く判りますよ。
国からのバックアップを受けて知識を学び、国からのバックアップを受けて購入した設備機材を使うことが出来た海軍の機関である航空技術廠が日本で使い得る最新技術と最新設備機材を使い設計開発した新型機をさあ量産してくれといわれ後の責任を一手に背負うかたちになった民間会社とその関係者はさぞかし大変だったろうことは想像に難くありません。
国防のために最も良い新型機を作ろうとした愛国心は判りますが設計開発した機関が最後まで責任を全うして量産まで行うのであればどこからも文句は出ません。
しかし実際には国の財力に支えられ最新技術で完成させた新型機を何でも自前の費用で行わなければならない民間会社に後を引き継がせる、航空技術廠より古い設備機材しかなく劣勢であることが判りきっている民間会社に後を引き継がせるという無謀さが見えて来ます。
本当ならば海軍の機関と民間会社との大きな環境の差を考慮するのが正しい行いのはずでした。
しかし時代の風潮は物事の分別は後回しにして軍がやれといったらやれという無謀極まりない状態でした。
その証拠として戦争が終わり平和な時代となってから当時の関係者が口々に本当にあったこのような話を話し語り継いでいるわけです。
これは氷山の一角でしかありませんが官(国の役人や軍人)による民間(一般人)への横暴を示す一つの実例です。
このような実話は単にエンジンの話だけに留まらずたくさんありました。
違うと思う人は太平洋戦争関連の書籍類やネット上に記されている書き込み類を見てみられたら大変勉強になるという以上のものが必ず得られますよ。 -
ほなまぁ軍部への批判は、置いといてやな、彗星自体が敵戦闘機を振り切れる艦上爆撃機として、実験機の性格をも持ち合わせた機体で、設計は海軍の技術機関関である空技厰が担当したんやな。
零戦よりも高速で画期的な性能要求に答える為、メッサーシュミットに搭載されているダイムラーベンツのDB601型 液冷エンジンのライセンス生産を決定し、機体は、油圧方式から電気式に変更され、これまで油圧で操作していた箇所をサーボモーターで稼動する方式に改め、整備の簡素化を計ったものやったんやな。
量産化に当たっては、DB601の液冷エンジンを生産する愛知飛行機が機体製作も担当する事になったんや。
一般的に実験機同様の機体を民間会社にその量産を無理強いしたような印象があるけど、製作の難しい機体を海軍側が技術的に自信がない民間会社に一方的に強制するはずも無く 、打診を受けた愛知飛行機としてもやや困難と思える内容でも会社経営の見地からしたら受注を受けて利益を上げようとするのは、自然の成り行きやな。
彗星の試作機は、所定の高性能を発揮したけど、量産化に際しては、新機軸に付きものの様々な不具合が発生し、また実用化途上でミッドウェイ海戦に偵察機に改修された彗星が敵索任務で活躍したものの母艦と共に失われる事態や、戦局の悪化に伴い実用化への技術指導をすべき空技厰に技術者派遣の余裕が無くなり部隊配備が遅れに遅れたんやな。
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さらに実用化され部隊配備された後のバッテリ容量不足に起因した電動装置の不具合や、水冷エンジンの取り扱い不慣れにより稼動率は低くかったものの、愛知飛行機製のDB601型エンジンは、同じく川崎で製作された同型エンジンより比較的、高品質な材料が使用できた為にエンジンの熟成化が計られて行き、川崎では量産に失敗した性能向上型の同型エンジンもどうにか実用域に達したんやな。
部隊配備された当初は新しい機構に慣れていない為に稼動率は低くかったものの愛知飛行機の技術者による担当整備兵への的確な整備要項の教育により稼動率が向上し、その高速性の為、搭乗員にも高性能機として評価された機体やったんな。
航空機に違わず兵器そのものは、常に性能向上をして行くもので試作機の場合は、それまで熟成された技術を土台にさらなる高性能に挑む必然性があって、その為には未知の技術や発展途上の新機軸を追求するのは、当然であり、技術的基盤や、あらゆる物資や人的要素に恵まれた
米国であれば未知なる高性能への挑戦は、日本より遥かに高条件であったんやな。
逆に日本では全てが米国に劣る中で技術者達の優れた資質による骨身を削るような努力で未知なる高性能に挑んでいった訳でここでは純然たる技術的な内容に終始し、軍部の技術的行政の不甲斐なさは別の機会にコメントをしたいとワイ個人としては、そう思うねんな。
最後にスレ主のヘルシアの兄ちゃんのおかげでエンジン等の突っ込んだ話が出来て面白かったわ、
オオキニな。 -
太平洋戦争当時は何か軍の意向に合わないことをいうと貴様はお国を守っている軍人に盾突く気か!?
とくるのが当たり前の時代でした。
こんな横暴な特権をかざしていたのが日本の軍でした。
ということで当時空軍はなかった日本では特権をかざす勢力として陸軍と海軍がありました。
当然特権をかざすもの同士は自分たちの方が一番だと自負していたため陸軍と海軍は非常に仲が悪い存在でした。
それを如実に裏付ける外国での実話が残されています。
日本は当時同盟国だったドイツからダイムラーベンツDB601倒立V型12気筒液冷エンジンのライセンス生産権を買い国産化したエンジンを戦闘機用エンジンとして使っていました。
しかし国産化されたのは陸軍用は川崎製のハ-40、海軍用は熱田二一型と別々に国産化されていました。
普通に考えるとライセンス生産権を一回買って両者ともそれを参考にして国産化されたのだろうと思いがちですが、そうではなく非常に仲が悪かった陸軍と海軍はライバル心を燃やし陸軍用は陸軍が金を払い海軍用は海軍が金を払い、一つのライセンス生産権を買うのに重複して二つ分の金を払って別々に購入していたのです。
日本の陸軍と海軍は国としては同じ一国なのだから共同購入したらいいじゃないかとドイツからいわれたにもかかわらず両者とも頑として聞き入れず結局一つのライセンス生産権購入にそれぞれが金を払うというバカバカしいことを実行してしまい、ナチスドイツのヒトラー総統からは日本の陸軍と海軍は仇同士なのか?
と笑われたそうです。
現在の話であればマスコミからのバッシングの嵐に曝されるのは間違いない種類の話です。 -
発動機ではなく彗星の機体の話に話を戻すと生産関係者は大変苦労させられたということは既に書きましたがその中でも大きな実例でいうと生産だけは愛知飛行機に責任を持たされたわけですが軍からの命令を受けて以降も航空技術廠から全部の設計図は届かず長い間一部の設計図しか届いていない状況が続きました。
そして設計図が一式揃った後も空中分解などのトラブルが起きる度に航空技術廠で改設計が行われ、改設計が行われる度に改設計分の設計図がなかなか送られて来ないというにっちもさっちもいかない状況に立たされ生産の責任を持たされた関係上、生産関係者は非常に迷惑したという事実が語り継がれています。
総じていえることとして軍は国防に懸命になった愛国心はあったものの現実問題として見通しの甘い部分が数多くあったということ。
その見通しの甘さのせいで多くの者が迷惑し苦労し最悪の場合は命まで奪われたのでした。 -
権兵衛さんのいうハ-40や改良版のハ-140より熱田二一型や改良版の熱田三二型の方が順調に推移したという主な理由は陸軍と海軍の差にありました。
陸軍はオリジナルのDB601ではコンロットなどにニッケルコーティングをして作ることとあったにも関わらず希少金属であるニッケルを使うことを禁止しました。
一方陸軍よりはいろいろな物資を保有していた海軍ではニッケルを使うことを許していました。
ニッケル使用を許された海軍用エンジンはコンロットなどにニッケルコーティングを施すことが出来たため焼き付きなどのトラブルが起き難い状況にあったわけでした。
これも陸軍の見通しの甘さが原因でした。 -
権兵衛さん、0さん、
こんばんは、
権兵衛さん、ありがとう彗星、まったく知りませんでした、
零戦より少し先が尖ったイメージですね、
また当時の政治学、軍対民間の争い
零戦は 日本の歴史の1つですが、枝葉がいろいろわかれます、
開発に当たって、軍と製造業者との意見の違い
知覧の特攻の話し
日本、アメリカ、ドイツの飛行機の差
などなど、話はつきませんね、
私にとってはこのスレで 一回り大きくなりました、まだまだ教えて下さい -
ヘルシアさんこんにちは。
(^O^)/
水メタノール噴射装置に関連して第二次大戦中のヨーロッパでのドイツ軍機の話を一つ。
第二次大戦末期ともなるとドイツ軍占領地域の領空であっても夜昼問わず連合軍戦闘機が我が物顔で飛び回る状況でドイツ軍機にしてみれば単機で飛行するのは非常に危険でした。
そんな中、フォッケウルフFw190の設計者クルトタンク技師は技術会議出席のために自らが設計開発したTa152H型の試作機を操縦して飛行中にアメリカ軍の二機のノースアメリカンP51ムスタングと遭遇し襲い掛かられそうになりました。
しかしタンク技師がMW50水メタノール噴射装置を作動させるとTa152H型試作機はみるみる間にノースアメリカンP51ムスタング二機を引き離し無傷で無事帰投したという話が残されています。
この時のアメリカ軍パイロットはまたドイツが怪物のような戦闘機を作り出したのかと思い驚いたそうです。
ちなみにMW50水メタノール噴射装置使用時のTa152H型試作機の最大速度は高度12500mで765Km/hというスピードでした。
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用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者: 大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年(昭和14年)4月
生産数:10,430機
運用開始:1940年(昭和15年)7月
退役:1945年(昭和20年)8月