ソロモン諸島上空を飛行する零戦二二型
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0さん、解りましたよ〜
私でも解りやすく
おそれいります、
∧∧← 極端ですが、
これが小回りが効くとは
さすが0さん、
たしか F4Fコルセア
∨∨←ですね
時速400マイルを初めて突破だとか
しかし高速機程、離着陸の性能は劣るようですね、コルセアは零戦との戦いは苦手だったみたいですね、
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しかしまいったなぁ
零戦が捩り下げ主翼とはおどろきました
知らんかったです、
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太平洋戦争前半戦で日本の零戦がアメリカ軍戦闘機より勝れていた点はもう一つあります。
日本人が造ったものは西洋人の猿真似だという日本人への悪口は昔から良く聞きますよね。
零戦のエンジン、栄エンジンもまたアメリカ人の猿真似だといわれていましたが、実質的にはアメリカのエンジンを参考にしただけの独自開発したものだったため当時欧米諸外国製エンジンには装備されていなかった燃料供給弁(プラスG弁もマイナスG弁も装備していた)が装備されていました。
それにより零戦は空中戦の時に様々な姿勢をとっても燃料供給が途切れることがなく安心して敵機との空中戦に専念することが出来ていました。
一方、そういう装備がなかったアメリカ製エンジンを搭載したアメリカ製戦闘機は逆さまになるなどの急機動を行うと燃料供給が途切れてエンジンが停止するため不自由な動きの空中戦しか出来ず、動きには制約がありました。
世界中で第二次大戦ベストセラー戦闘機といわれたノースアメリカンP51ムスタングでさえ機動制限がありました。
アメリカ製戦闘機で急機動の際に燃料供給が途切れないような装備が付けられるようになったのは太平洋戦争後半あたりからでした。
戦争に勝った国々が戦後言っていること宣伝していることの中には本当のこともありますが、自分の国に都合のいいだけの真っ赤な嘘もたくさんあります。
戦後の平和ボケした日本人にはアメリカの嘘を信じきっている人がかなり多いです。
政治家でもかなり多いです。
嘘と本当は賢い目で見分けて騙されないようにしたいですね。 -
それからヘルシアさんが貼られていた艦上爆撃機「彗星」ですが、私は彗星には主翼端捩り下げは使われていないといいました。
しかし、彗星では捩り下げは使わず、また別の技術で失速し難い技術を盛り込んでいました。
その技術とは異なる主翼の断面形状の組み合わせによる技術でした。
彗星は旧帝國海軍の航空技術廠が開発した艦上爆撃機で主翼の内翼部分には高速度が出し易い層流翼系断面の翼を使用し、外翼には失速し難い通常の断面翼系の翼を使用してこの二種類の断面翼系を調和させてありました。
これと同じような手法は三菱が零戦の次に開発した局地戦闘機「雷電」にも使われていました。
そのため雷電はスピードが速く突っ込みの利く迎撃専用の戦闘機でありながらも空中戦の機動性も高い戦闘機として連合軍からも高い評価を受けました。
開発当初日本国内では評判の悪かった雷電は私が大好きな戦闘機です。
零戦に比べると太った機体ですが、ただのデブではありませんでした。
アメリカのプレーンズオブフェイム博物館の雷電二一型と零戦五二型をそれぞれ同じアングルから比較した写真を参考資料として貼りますね。
この雷電二一型は飛ぶことは出来ない地上展示機ですが世界で唯一現存する雷電です。 -
局地戦闘機「雷電」は攻めて来た敵機を迎撃するため専門の戦闘機として開発されたため先ずは高い最大速度を第一に設計要求されました。
しかし、例によって空中戦の機動性第一主義の日本軍は同時に高い機動性も要求したため開発は難航しました。
当時入手出来る小型高出力エンジンがなかったため爆撃機用の大型エンジンを使用したため太った機体になってしまいましたが、強制冷却ファンを内蔵した紡錘型の胴体に層流翼と通常翼をミックスした主翼を組み合わせ、空戦フラップとして機動性を高められるファウラーフラップを装備していました。
強制冷却ファンを装備していたため雷電が飛んで来る時はキーンという独特の金属音がしていたといいます。 -
太った機体ながらスッキリと纏め上げられたその全容が良く判る写真があったので貼りますね。
アメリカ軍に鹵獲され塗装を落とされアメリカ軍の国籍マークを付けられて飛行テストを受ける雷電二一型です。
アメリカ海軍の艦上戦闘機グラマンF6Fヘルキャットとイギリス製スーパーマーリン・スピットファイア戦闘機も一緒に飛行しています。
こうして眺めると太平洋戦争当時のアメリカ、イギリス、日本、それぞれのお国柄が滲み出て見える写真です。
特に際立って判るのが同じく大きな直径の空冷式エンジンを搭載したために胴体が大型化してもアメリカ人と日本人の戦闘機の造り方ではかなりの違いがあり結果としてこのように纏まり方が歴然と違っていたという事実です。
太った猫グラマンF6Fヘルキャットに比べ三菱の雷電二一型のなんと美しく素晴らしいことかと感じてしまいます。
日本側が戦争当時記録した写真にはないアングルの写真、アメリカ軍が撮ったこの写真がそれを際立たせています。
雷電は胴体がこのように大きかったため零戦のような全周視界の良い水滴型風防ではなくファストバック形式の風防を採用していました。
これが原因で視界が悪いとして日本海軍からは悪い評価を受けていました。
そして日本機離れしたその大きな胴体からくる広々とした操縦席は「雷電の操縦席では宴会が出来る」などと言われ馬鹿にされていました。
なるほど何でも小さく狭く造るのが主流だった当時の日本製戦闘機の中にあっては日本機離れした異質な存在でした。
しかし、アメリカ軍に鹵獲され飛行テストを受けてみるとアメリカ人やイギリス人の評価は悪くなく日本では嫌われていた視界の悪さも全く問題なしと評価され逆にほとんど全ての面で高い評価を受け当時の連合軍が使用していたほとんど全ての戦闘機よりも優秀であるという良い評価を受けました。
スピードも出て、頑丈で、運動性も良く、武装も強力で、使い勝手が良い戦闘機だということだったようです。
雷電はアメリカ軍からはジャックというコードネームで呼ばれていました。 -
アメリカ軍は敵であった日本軍戦闘機にニックネームであるコードネームを付けて呼んでいました。
(海軍戦闘機)
零戦はゼロやジークやハンプと呼び。
雷電はジャックと呼び。
紫電や紫電改はジョージと呼び。
烈風はサムと呼び。
(陸軍戦闘機)
一式戦「隼」はオスカーと呼び。
二式単座戦「鍾馗」はトージョーと呼び。
三式戦「飛燕」はトニーと呼び。
四式戦「疾風」はフランクと呼び。
という具合に戦闘機には男の名前、爆撃機などにはエミリーやベティーやグレースなどなど女の名前を付けて呼び分けていました。
必死で頑張って戦争をしていた日本人とは対照的に、戦争のさなかにあってもアメリカ人は呼び名で楽しむような余裕を見せていたわけでした。
これもお国柄の違いのなせる業でしょうね。 -
雷電←たしかに ポッチャリ 機体に厚みありますね
昔の 雷電という お相撲さん、からとった、名前かも ですね
層流翼系断面の翼を使用 ↑↑
また難しい です
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零戦に、アメリカの方が乗ったら、座席をうしろに、スライドさせても、かなり操縦しにくいと、なんかの本に書いてありました、ましてや三段腹の大男は、無理ですね、、グラマンはフロントの前方のガラスは防弾に、なっていた?、 戦闘機のコックピット内 はかなり狭くアメリカでは、パイロットのジャケットは
かなりスリムでピチピチのジャケットを、着ていたようです、
もちろん袖も限界まで
細くしたものを
着ていたようです、
それが 「A-2」と言われるミルスペックのジャケット名で、素材は馬革 です
第二次大戦当時は ナイロン、はまだありません
「A-2」フライトジャケットが有名になったのは
映画「大脱走」で
スティ-ブマックイーン
が着てました、
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簡単にいうと翼を飛行機の前方から後方に向けて切った断面の形の違いです。
層流翼系というのは翼の断面の一番厚い部分が真ん中より後方寄りにあり高速飛行に適した翼断面形状として開発されたものです。
翼断面形状に於けるスポーツタイプの翼みたいなものです。
ちゃんと扱えれば素晴らしい結果を出すのですが素人が下手に扱うと危険なことになるみたいな感じです。
最大厚部分がより後方にあるということは真ん中より前の部分は薄い傾向にあり高速飛行に適していたのですが、その反面、高い加工精度で滑らかな翼表面が作り出せないと翼の失速が起こり易くなるという両刃の剣でもありました。
ちゃんと作る実力がないのに安易に層流翼を採用するとちょっとしたことで直ぐに失速して墜落する大変危険な戦闘機になってしまうということでもありました。
技術力に自信がないなら手を出してはいけない翼でした。
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用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者: 大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年(昭和14年)4月
生産数:10,430機
運用開始:1940年(昭和15年)7月
退役:1945年(昭和20年)8月