• 578
    2014/06/26(木) 02:13:45 ID:q/Z8uErwO
    太平洋戦争前半戦で日本の零戦がアメリカ軍戦闘機より勝れていた点はもう一つあります。
    日本人が造ったものは西洋人の猿真似だという日本人への悪口は昔から良く聞きますよね。
    零戦のエンジン、栄エンジンもまたアメリカ人の猿真似だといわれていましたが、実質的にはアメリカのエンジンを参考にしただけの独自開発したものだったため当時欧米諸外国製エンジンには装備されていなかった燃料供給弁(プラスG弁もマイナスG弁も装備していた)が装備されていました。
    それにより零戦は空中戦の時に様々な姿勢をとっても燃料供給が途切れることがなく安心して敵機との空中戦に専念することが出来ていました。
    一方、そういう装備がなかったアメリカ製エンジンを搭載したアメリカ製戦闘機は逆さまになるなどの急機動を行うと燃料供給が途切れてエンジンが停止するため不自由な動きの空中戦しか出来ず、動きには制約がありました。
    世界中で第二次大戦ベストセラー戦闘機といわれたノースアメリカンP51ムスタングでさえ機動制限がありました。
    アメリカ製戦闘機で急機動の際に燃料供給が途切れないような装備が付けられるようになったのは太平洋戦争後半あたりからでした。
    戦争に勝った国々が戦後言っていること宣伝していることの中には本当のこともありますが、自分の国に都合のいいだけの真っ赤な嘘もたくさんあります。
    戦後の平和ボケした日本人にはアメリカの嘘を信じきっている人がかなり多いです。
    政治家でもかなり多いです。
    嘘と本当は賢い目で見分けて騙されないようにしたいですね。
    0 0
  • 579
    2014/06/26(木) 02:39:06 ID:q/Z8uErwO
    それからヘルシアさんが貼られていた艦上爆撃機「彗星」ですが、私は彗星には主翼端捩り下げは使われていないといいました。
    しかし、彗星では捩り下げは使わず、また別の技術で失速し難い技術を盛り込んでいました。
    その技術とは異なる主翼の断面形状の組み合わせによる技術でした。
    彗星は旧帝國海軍の航空技術廠が開発した艦上爆撃機で主翼の内翼部分には高速度が出し易い層流翼系断面の翼を使用し、外翼には失速し難い通常の断面翼系の翼を使用してこの二種類の断面翼系を調和させてありました。
    これと同じような手法は三菱が零戦の次に開発した局地戦闘機「雷電」にも使われていました。
    そのため雷電はスピードが速く突っ込みの利く迎撃専用の戦闘機でありながらも空中戦の機動性も高い戦闘機として連合軍からも高い評価を受けました。
    開発当初日本国内では評判の悪かった雷電は私が大好きな戦闘機です。
    零戦に比べると太った機体ですが、ただのデブではありませんでした。
    アメリカのプレーンズオブフェイム博物館の雷電二一型と零戦五二型をそれぞれ同じアングルから比較した写真を参考資料として貼りますね。
    この雷電二一型は飛ぶことは出来ない地上展示機ですが世界で唯一現存する雷電です。
    0 0
  • 580
    2014/06/26(木) 02:54:09 ID:q/Z8uErwO
    局地戦闘機「雷電」は攻めて来た敵機を迎撃するため専門の戦闘機として開発されたため先ずは高い最大速度を第一に設計要求されました。
    しかし、例によって空中戦の機動性第一主義の日本軍は同時に高い機動性も要求したため開発は難航しました。
    当時入手出来る小型高出力エンジンがなかったため爆撃機用の大型エンジンを使用したため太った機体になってしまいましたが、強制冷却ファンを内蔵した紡錘型の胴体に層流翼と通常翼をミックスした主翼を組み合わせ、空戦フラップとして機動性を高められるファウラーフラップを装備していました。
    強制冷却ファンを装備していたため雷電が飛んで来る時はキーンという独特の金属音がしていたといいます。
    0 0
  • 581
    2014/06/26(木) 10:49:36 ID:q/Z8uErwO
    太った機体ながらスッキリと纏め上げられたその全容が良く判る写真があったので貼りますね。
    アメリカ軍に鹵獲され塗装を落とされアメリカ軍の国籍マークを付けられて飛行テストを受ける雷電二一型です。
    アメリカ海軍の艦上戦闘機グラマンF6Fヘルキャットとイギリス製スーパーマーリン・スピットファイア戦闘機も一緒に飛行しています。
    こうして眺めると太平洋戦争当時のアメリカ、イギリス、日本、それぞれのお国柄が滲み出て見える写真です。
    特に際立って判るのが同じく大きな直径の空冷式エンジンを搭載したために胴体が大型化してもアメリカ人と日本人の戦闘機の造り方ではかなりの違いがあり結果としてこのように纏まり方が歴然と違っていたという事実です。
    太った猫グラマンF6Fヘルキャットに比べ三菱の雷電二一型のなんと美しく素晴らしいことかと感じてしまいます。
    日本側が戦争当時記録した写真にはないアングルの写真、アメリカ軍が撮ったこの写真がそれを際立たせています。
    雷電は胴体がこのように大きかったため零戦のような全周視界の良い水滴型風防ではなくファストバック形式の風防を採用していました。
    これが原因で視界が悪いとして日本海軍からは悪い評価を受けていました。
    そして日本機離れしたその大きな胴体からくる広々とした操縦席は「雷電の操縦席では宴会が出来る」などと言われ馬鹿にされていました。
    なるほど何でも小さく狭く造るのが主流だった当時の日本製戦闘機の中にあっては日本機離れした異質な存在でした。
    しかし、アメリカ軍に鹵獲され飛行テストを受けてみるとアメリカ人やイギリス人の評価は悪くなく日本では嫌われていた視界の悪さも全く問題なしと評価され逆にほとんど全ての面で高い評価を受け当時の連合軍が使用していたほとんど全ての戦闘機よりも優秀であるという良い評価を受けました。
    スピードも出て、頑丈で、運動性も良く、武装も強力で、使い勝手が良い戦闘機だということだったようです。
    雷電はアメリカ軍からはジャックというコードネームで呼ばれていました。
    0 0
  • 582
    2014/06/26(木) 11:09:44 ID:q/Z8uErwO
    アメリカ軍は敵であった日本軍戦闘機にニックネームであるコードネームを付けて呼んでいました。
    (海軍戦闘機)
    零戦はゼロやジークやハンプと呼び。
    雷電はジャックと呼び。
    紫電や紫電改はジョージと呼び。
    烈風はサムと呼び。
    (陸軍戦闘機)
    一式戦「隼」はオスカーと呼び。
    二式単座戦「鍾馗」はトージョーと呼び。
    三式戦「飛燕」はトニーと呼び。
    四式戦「疾風」はフランクと呼び。
    という具合に戦闘機には男の名前、爆撃機などにはエミリーやベティーやグレースなどなど女の名前を付けて呼び分けていました。
    必死で頑張って戦争をしていた日本人とは対照的に、戦争のさなかにあってもアメリカ人は呼び名で楽しむような余裕を見せていたわけでした。
    これもお国柄の違いのなせる業でしょうね。
    0 0
  • 585
    2014/06/26(木) 11:48:54 ID:q/Z8uErwO
    簡単にいうと翼を飛行機の前方から後方に向けて切った断面の形の違いです。
    層流翼系というのは翼の断面の一番厚い部分が真ん中より後方寄りにあり高速飛行に適した翼断面形状として開発されたものです。
    翼断面形状に於けるスポーツタイプの翼みたいなものです。
    ちゃんと扱えれば素晴らしい結果を出すのですが素人が下手に扱うと危険なことになるみたいな感じです。
    最大厚部分がより後方にあるということは真ん中より前の部分は薄い傾向にあり高速飛行に適していたのですが、その反面、高い加工精度で滑らかな翼表面が作り出せないと翼の失速が起こり易くなるという両刃の剣でもありました。
    ちゃんと作る実力がないのに安易に層流翼を採用するとちょっとしたことで直ぐに失速して墜落する大変危険な戦闘機になってしまうということでもありました。
    技術力に自信がないなら手を出してはいけない翼でした。
    0 0
  • 588
    2014/06/26(木) 12:27:36 ID:q/Z8uErwO
    アメリカのノースアメリカンP51Dムスタングも層流翼を採用していました。
    当時はまだ弱小の新興航空機メーカーでしかなかったノースアメリカン社がその後の社運を賭けて作り出したムスタングはまだムスタングという名前は付いておらずA36という地上攻撃機でした。
    戦闘機としては使い物にならないスピードと搭載量だけが取り柄の粗い航空機でした。
    名前はアパッチと名付けられました。
    この航空機がサラブレッドの如く生まれ変わったのはエンジンをイギリスのロールスロイス・マーリンエンジンのアメリカでのライセンス生産品パッカード・マーリンエンジンに交換したことが最大の要因でしょう。
    他にもラジエーター配置やその形状の表面処理、水滴型風防の採用などいろいろありますが、見違えるようなメジャー戦闘機になったのはP51のD型以降のことでした。
    水滴型風防に改造し全周視界が得られたことは良かったのですが、地上滑走時を含め飛行安定性が悪くなり垂直尾翼の前にドーサルフィンを追加装着することで何とか対応しました。
    ちなみにP51Dムスタングを作り出したのはアメリカに移住したドイツ人です。
    P51Dムスタング誕生の地はアメリカ合衆国ですが設計したのはドイツ人そしてサラブレッドに生まれ変わるためのたくさんのアドバイスと協力をしたのはイギリス人でした。
    P51Dムスタングのことを生っ粋のアメリカ的戦闘機だと自負するアメリカ人はたくさん居ますが実は誕生の経緯から何から何までアメリカ以外のドイツやイギリスが大きなウェイトを占めた形で作り出されたのが世界的ベストセラー戦闘機となったP51Dムスタングだったのでした。
    同じ第二次大戦時期の他のアメリカ製戦闘機と比較すると妙にアメリカ的ではないでしょう?
    豪快に造るアメリカ的戦闘機に対しP51Dムスタングだけ妙に緻密で繊細なのはそういう理由があったからでした。
    設計者のエドカー・シュミットはドイツに居た時はドイツの戦闘機メーカーで戦闘機の設計をやっていました。
    0 0
  • 589
    2014/06/26(木) 12:40:33 ID:q/Z8uErwO
    陸軍のA-2海軍のG-1ですか。
    私もフライトジャケットには昔から興味があります。
    しかし第二次大戦時期までは専用のフライトジャケットを軍が正式採用して官給品とすることが出来ていたのはアメリカ合衆国だけだったようですね。
    さすがは世界一裕福な国の軍隊ですね。
    その他の国々は日本もドイツも着ていたのはほとんどが私物として購入したものだったようでやはりアメリカ合衆国の裕福さが断トツで目立ちますね。
    ちなみにドイツ軍では戦闘機乗り用の布製のジャケットのことはフリーガーブルゼと呼ぶらしくファイターブラウスという表現らしいです。
    0 0
  • 590
    2014/06/26(木) 15:36:43 ID:q/Z8uErwO
    ドイツ軍の戦闘機パイロットや戦車クルーが着ていて記録写真にも多く写っている大きな襟のダブルのレザージャケットに憧れて探していたこともありましたが、それらはほとんどが軍正式採用の官給品ではなく個人購入の私物か戦利品だったそうですね。
    正式採用官給品ではないため正式に決まった形や名前はないみたいで似たようなものを探すと…ダブルライダースジャケットというキーワードで検索すればその多くが出て来るようです。
    耐熱性などを考えると本当は本革が一番良いのですが、値段が高いのと手入れが大変で維持費が高いので足踏み状態→昔の人工皮革は塩化ビニールが主流でしたが最近の人工皮革はポリウレタン製が主流で風合いも上手く本革に近付けてあり通気性も多少良くなっていて雨に濡れても大丈夫で値段も安いのでPUレザー、フェイクレザーなどと呼ばれるこちらの方を買ってみました。
    ダブルライダースジャケットというのはデザイン的にもカッコ良くTシャツの上に羽織ってもカッターシャツの上に羽織っても様になり襟を開けて前を閉じてもカッターシャツにネクタイをして上から羽織っても様になりファスナーと大きな襟を全部閉じると意外に風を通さなくもなりデザイン的にも何通りもの着こなしが出来て尚且つ機能的なので気に入っています。
    実際にオートバイに乗るのなら転倒時の摩擦に対する耐熱性が必要不可欠ですがオートバイには滅多に乗らないならPUレザージャケットで十分かも知れません。
    それに着心地が軽量です。
    ダメになったらまた新たに買い替えても良いくらいに値段は安いですし。
    例えばこの添付画像のようなものです。
    微妙に違うタイプも様々、カラーバリエーションはたくさんあるようです。
    0 0

人気の記事